2013年1月12日土曜日

「お母さんのチキンスープ」 (for project)

次の話は、エリック・シューさんからの話です。

シューさんは元々台湾人でしたが、小さい時カナダに移民しました。小さい時いつもお母さんが作ってくれたチキンスープを飲みました。特に病気になった時、お母さんのチキンスープを飲んだ後すぐ治ったそうです。初めて海外へ移民してきた時、「白ご飯もなく、スープもない飯は飯ではない」と思いました。プリンストンで一人で病気になる時、アメリカのチキンスープを食べたこともあります。でも、お母さんの味と全然違うので、大変です。

中国のスープ文化は歴史が長いです。作り方は地域によって違うけれども、同じ様に時間がかかって、原料は複雑です。例えば、南の方のスープは材料の形は全て消えてしまい、でも、その材料の営養がすべてスープの中で残って、健康にとても良いです。アメリカで中華料理のレストランがたくさんありますけど、スープはあまり本当の中国スープではありません。

中国のスープはやはり日本のゆとり食文化と同じように、時間がかかって、愛情を入り込むものですね。


「大盛りラーメン」(for project)


三番目の話は、ケンさんからの話です。


My favorite Japanese Dish is Ramen with Oomori Noodles. I began eating it when I went to Japan for a global seminar. My classmates took me to a local Ramen shop where I ordered a standard bowl of noodles. The soup and its seasoning tasted magnificent and it came with pieces of beef and two boiled eggs, on the side was a plate of cold noodles which I dipped into the soup and eat. Enjoying myself, a tipsy Japanese salary-man named Kentaro suggested that I try Oomori. SO the next time I had Oomori!! I still remember the excitement/ horror when I received my order. The bowl of soup was the same, but next to it on a plate was a mountain of long and thick noodles. I wolfed it down, half afraid that my stomach would burst. I could not go to a raman soup without ordering oomori ever since.

ケンさんの一番好きな日本料理は大盛りラーメンです。日本であるグローバル・セミナーに行ったケンさんは知らない日本人のサラリーマンから大盛りラーメンのおすすめをもらいました。そして、もう一度ラーメン屋に行った時、ケンさんは大盛りラーメンを注文しました。山のようなラーメンを見た時驚いたけど、一度試してから大盛りラーメンが大好きになりました。

大盛りラーメンはどうしてこんなに魅力があるのですか。実は、魅力であるのが大盛りラーメンではなく、知らないサラリーマンカラのおすすめなのではないだろうかと思います。外国に行くとき、知らない外国人にすすめられ、そして外国の食べ物から楽しみを感じたら、その国との心理的な距離はすぐ近くなるのではないでしょうか。

食事の問題(お姉さんからのコメント)

ホストファミリーのお姉さんからのコメントです。「深夜食堂」のポストを読んだ後書いたものですけど、私のプロジェクトのために役に立つ意見もたくさんあります。

食というのは本当に大切なものですね。
食事には大きな力があると思います。
海外に行った時にその国の食べ物を食べるとその国の味からいろいろ伝わってくるものがあります。家庭料理ならなおさらですね。同じ胡椒や塩を使ってもその国の独特な匂いなども一緒に調理されそれが一つのスパイスになってるんじゃないかなと思います。そして最も大事なのは作ってくださる人の愛情ではないでしょうか。
おもしろい話があります。
幼稚園に子供達はお弁当を持って行きます。
その中にはコンビニで買ってきたサンドイッチやお弁当、デザートなど見た目にはとても華やかなものを持ってきていた園児がいました。
しかしその子はうれしそうな顔はせず、他の子達のお弁当を覗き込んでいました。
その子の親はきっと忙しさゆえに買ったもの与えていたんですね。ある日その子はおにぎりだけをもってきていました。しかしその顔は満面の笑みで溢れていたそうです。
どんなに小さな子供でも伝わっているんですね。見ているんですね。朝母親がキッチンに立って作ってくれることを。そのおにぎりには塩や具材以外に愛情も握られてることを。
私はおにぎりの大切さをとても感じます。現代の忙しさから作る事が難しい方もたくさんいると思います。おかずはできあいの物を使っていいと思います。ただ一つ、一つだけ握ったおにぎりをつけてあげてはどうでしょうか。と。
7つのコショクがあります。
個食
孤食
子食
粉食
固食
濃食
これらは、現代抱えている食の問題ですね。
少しでも多くの人が考えていけるといいなと思います。
話がそれてしまったかもしれませんがお弁当という日本の文化から食の大切さが伝わればいいなと思います。

2013年1月11日金曜日

「サーモンの刺身」 (for project)



二回目の話は、セルビアからのコラクさんのサーモンの刺身の話です。

Whenever I travel I try to eat all of the local foods as much as possible. On one hand, I am able to more fully experience the culture of the new place and connect to the country. On the other hand, I am able to share an adventure with my travel companions since we are trying new cuisine together for the first time. At times like this food truly brings everyone together!

"On Valentines day 2009, my girlfriend and I went to this fancy Japanese restaurant in NYC. It’s near NYU. Since sashimi is her favorite (if there is one food to give her, that's sashimi), we ordered salmon sashimi. I usually hated fish. I never ate them, but I ate it that time, because I felt like I needed to act like a man. I didn’t like it that much, but I grew to like it. Now I love eating salmon sashimi. More importantly, every time I see salmon sashimi I will think of her."

コラクさんは彼女と出会う前にお刺身を食べたことがありませんでした。三年前、バレンタインデーのために彼女と一緒にニューヨークに行って日本料理を食べました。彼女はサーモン刺身が大好きなのでサーモン刺身を注文しました。魚が嫌いだったけれどもコラクさんは彼女のために刺身を食べました。どんどん好きになってきました。サーモン刺身を見る時、彼女のことが心のなかで浮かぶようになりました。

愛があれば、嫌いな食べ物も好きになってしまうのではないでしょうか。

「ホットケーキ」(for project)


プロジェクトのために色々な食べ物の話を集めてきました。
今度の話は「ホットケーキ」です。

この夏、母が亡くなった。普段は夏に帰った時しか会えない母だったが、今年の夏、たまたま私が日本にいた時、母は倒れ、しばらく入院していたが、そのまま亡くなってしまった。母は入院している間、何も食べ物を食べられず、次第に弱って死んでいった。私も弟も母に最後においしい物を食べさせてあげられなかったことをとても残念に思った。

母は「ハイカラ」な食べ物が大好きな人で、私が子供の時、デパートに買い物に行ったら、その帰りに必ず喫茶店に寄って、ホットケーキを食べた。私にとって、母の思い出はその喫茶店のホットケーキだ。喫茶店のホットケーキと言っても、そんなにおしゃれな物ではない。ただのホットケーキだ。焼きたてのホットケーキにバターとシロップをかけて食べる。これがたまらなくおいしかった。

だから、私自身が母になってからも、娘によくホットケーキを作って食べさせてあげた。娘もそれが大好きだ。アメリカのパンケーキは日本の「ホットケーキ」とは違う。日本のはもっとやわらかくて甘い。自分で粉の調合をするのではなく、市販のホットケーキミックスを使う。

今は娘も大学の寮に住んでいるので、めったにホットケーキを作らなくなった。しかし、昨日ふと思いついて、一人でホットケーキを作ってみた。次々に母の思い出が頭に浮かんで、食べながら心が温かくなった。

犯罪者家族の問題 (for class)


秋学期の最後、「手紙」という映画を見ました。主人公は強盗殺人犯の弟、武島直貴です。獄中の兄から手紙が届きましたが、「強盗殺人犯の弟」という名のせいで進学、就職、恋愛など差別され、色々な問題が起こりました。この映画を見た後、どうして日本社会には犯罪者家族への差別はこんなに厳しいだろうかと思い始めました。

まず、アジア社会でまだ普遍的に存在している階級意識と集団意識の問題と関係があるのではないだろうかと思いました。階級意識と言う点から考えると、人々の稟質が彼らの家族と同じものだということで、「犯罪者の家族も犯罪者になる」という結論になります。集団意識という点から考えると、アジア社会は普遍的に人々のプライバシーを尊重せず、同じ集団(例えば、学校、コミュニティ、職場など)にいる人々の家族や職業や色々な状況を聞くのが普通です。同じ集団にいる場合、他人と同じことをしなければならないです。他にも、もし自分の家族の状況が普通と違うなら問題になります。例えば、小学校で親が離婚した子供はよく差別されています。親の離婚もそんなに差別を受けるので、家族が犯罪者だったらどうすればいいでしょうか。

そして、他人の考え方を変えられない場合、その人はどうすればいいのかと思いました。心理学で「ハイ・ムーバ」と「ロー・ムーバ」という概念があります。「ハイ・ムーバ」とは、住む場所や職業やよく変える人々です。それに対して、いつも同じ場所に住む人は「ロー・ムーバ」です。伝統的な日本社会は「ロー・ムーバ」の社会でしたが、今たくさんの人が東京で就職するので、「ハイ・ムーバ」の数も増えてきました。でも、「ハイ・ムーバ」にとって、自分の所属集団がいつも変わるので、積極的に新しい友人を作るのは自分の精神的な健康にとって一番大切です。この「ハイ・ムーバ」の心理は犯罪者家族にも応用できると思います。転職や転居が不可欠な場合で、積極的な心理があれば、幸せがきっと来るだろうと思います。

2012年12月17日月曜日

プチブル生活、意味あるか (for class)

プチブル印象・ロマンティック
プチブルの文字通りの意味は「プチ・ブルジョア」、中国語で「小資」ということです。元々資本主義と無産階級の中間にある「小資本階級」の人々をそう呼びましたが、現在では政治的イデオロギーや階級観念とは無関係に使用され、新しい生活スタイルを表す言葉に生まれ変わっているということです。
 先週の授業で、日劇の流行とプチブルの形成について考えましたが、私はその二つの関係が因果関係(cause and effect)でなく、中国人の物質的な追求が溢れて来たと同時に日劇で描写された生活に手が届くように思われただけだと思います。
 同じようにプチブル生活スタイルと関係あるものは、ブログ、村上春樹の小説、コーヒー、ジャズ、ワイン、カクテル、三時のおやつなど。おしゃれなものだけなのではないかと思いました。このようなプチブル生活は、物質だけに注目し、ゆとり生活を目指していますが、心からの満足ができるのでしょうか。今の中国は経済が速く発展していると同時に、金でなんでも買えるという考え方が氾濫しているのに対し、人々は精神的に満足していません。特に若者世代の人々は社会への責任感が少なくなりつつあるので、他人を助ける行動からの満足感を得られないでしょう。日劇の影響を見ると、ドラマやテレビ番組の選択に気をつけ、もっと若者世代に社会への責任感を宣伝した方がいいのではないだろうかと思います。

2012年12月7日金曜日

正義をどう守護するか (for class)

デスノートの映画のポスターですが、私が映画のLが一番好きですからこのポスターを載せました(笑)
先週の金曜日、レブサックさんのお陰で『DEATH NOTE』(デスノート)というアニメを見ました。私は中学校の時このアニメを見たことがありましたが、暗くてもいいアニメだと思いました。もしみなさん内容について知らないなら、ウィキペディアによると、このアニメは名前を書いた人間を死なせることができるという死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を殺し、理想の世界を作り上げようとする夜神月(ライト)と、世界一の名探偵・Lによる頭脳戦を描く物語だそうです。
 授業の時私にとって一番いい質問はライトとLの違いでした。同じように頭がよくて、スーパーヒーローのような人物なのに、この二人は一体どんな違いがあるのでしょうか。主観的に言うと、Lはライトよりもっと理性的なので、私はLの方が好きです。もっと客観的な視点から見ると、二人は共通点が多く、特に正義を守りたいという価値観は同じなのではないだろうかと思いす。しかし、価値観が近くても、正義を守る手段は全く違うのです。ライトは理想主義者として新しい世界を作るためにどのような手段を使ってもいいと信じているのに対し、Lは犯罪者を見つけるのが自分の責任だけど裁決は法律が決定するものだと信じています。
 私が高校の時、一度「法律は完全ではないので時々非情な手段を取るのが必要だ」と思ったことがあります。しかし、法律が完全ではないので、法律さえ完全にすると将来同じ様な問題が解決できるのではないでしょうか。ライトのように自分の考えを法律にしようということは独裁者とどう違いますか。例えば、中国のある地方で法律の不足が深刻な地域があります。もしある日私が官僚になったら、自分の力で完全に規制を確保することはできないでしょう。将来人民の幸せを守るためにやはり完全な法律の体系を作って、官僚の権力を制約できる機関を成立するのは一番大切なのではないでしょうか。その体系を守るために自分が犠牲になってもいいーーそれはLから見た考えです。

2012年12月3日月曜日

越境してきた韓流 (for class)

韓国のアイドル団体の中で大人気の東方神起
先週ポップカルチャーの授業について勉強しましたが、日本のマンガ産業にあるグローバライゼーションとローカライゼーションの過程と影響を分析しました。アジアで今一番流行しているのは韓国のドラマや音楽やアイドル団体などだと思います。したがって、今度は韓流という点から分析したいと思います。
 まず、韓流とは何ですか。ウィキペディアはこのように紹介しました。
1997年(平成9年)のアジア通貨危機によって韓国経済が破綻すると、韓国は官民を挙げて韓国ドラマや映画などコンテンツの輸出を推進し、韓国政府も積極的にコンテンツ産業振興策を支援した。日本のテレビドラマの価格上昇や香港映画の衰退などの追い風も受けて、韓国の俳優や音楽など大衆文化に対する人気が高まってブームが形成された。
つまり、韓流の代表としてのドラマや映画や音楽やアイドル団体は政府が支援したのです。韓流に関係する様々な産業にとって、文化輸出は経済輸出の前提です。ドラマや映画をアジア諸国に輸出する過程は「グローバライゼーション」です。そして、色々な国の人がこれらの番組や音楽やダンスを好きになってから模倣しようとするのは「ローカライゼーション」です。中学校の時友達は良く韓国スタイルのヒップホップを真似しました。高校の時友達は韓国のドラマの主人公のような服を買って韓国のスタイルを真似しました。今大学で、歌のグループの友達は東方神起の音楽をアカペラに変えて歌いました。これらの具体的な例から見ると、韓流のローカライゼーションはよく進んだのではないでしょうか。また、逆に世界中のファンは韓国のアイドル団体に参加し、今新しいアイドル団体の国籍も多様になったそうです。例えば、f(x)という女性団体の隊長ビクトリアは中国人で、CROSS GENEという男性団体は二人が中国人、一人が日本人、三人が韓国人です。世界からアイドル団体に応募する人数が増えたのは「ローカライゼーション」の成功なのではないでしょうか。ですから「韓国のアイドル団体」ではなく、「アジアのアイドル団体」と言えますね。

2012年11月28日水曜日

中国のアニメ産業 (for class)


 先週は日本のマンガとアニメ産業、特に日本のイメージ同盟について勉強しました。日本では、まずマンガの雑誌で色々な新作が現れ、もし人気を得ればスポンサーによって動画化され、またキャラクター商品なども販売されます。中国は日本のマンガとアニメ文化に強く影響されても、マンガを中心とするイメージ同盟はありません。なぜかというと、中国の出版業界とテレビ局の関係は日本のように緊密ではないからだろうと思います。また、中国でアニメはマンガより人気が出やすいからだろうと思います。

 日本の子供(特に男の子)だったら、毎週少年ジャンプなどを読むのは普通でしょう(コンビニで立って読んでもいいから)。中国ではコンビニでマンガの雑誌を読むのは無理です。もし子供がマンガの雑誌とかを買ったら、絶対お母さんに責められます。だから、中国の子供はマンガを読むことより、毎日学校から家に帰った後五時から七時までアニメを見る方が普通です。

 私が小さい時一番楽しかったのはその時間アニメを見ることでした。セイントセイヤ、スラムダンク、セーラームーンなど、私は小学校時代何度もテレビで見ました。夏休みの時、テレビチャンネルで朝九時から午後五時まで連続放送があったので、一日中ずっとアニメを見るのが大変楽しかったです。しかし、今中国のテレビチャンネルでそのように長い時間日本のアニメの連続放送はもうありません。私の高校時代から中国のテレビ局は中国の自分のアニメ文化があまり存在していないという事実を意識し、自国のアニメ産業を支持するために、一日二時間以上外国のアニメの放送を禁止するという政策を作りました。それが原因で、私の十二歳のいとこは今中国のテレビ局が制作した番組しか知りません。彼女が好きなアニメ「喜羊羊与灰太狼(シーヤンヤンとホイタイラン)」はとても面白くて、大人気なのでもう映画化されました。彼女はアニメと映画を見る上に、シーヤンヤンの人形もいくつか持っているから、日本のアニメ同盟の点から見るとこのアニメは商業化の目的も達成したでしょう。中国のテレビ局にとって、政策を利用して自国のアニメ産業を支持するのはちょっと極端なんですけれども、効果があるのではないでしょうか。

2012年11月21日水曜日

どうして私はマンガを英語に訳すことができないかについて (for class)


リービ英雄の国際比較文学の世界大会での日本語の発表についての記事を読んだ後、彼が言った翻訳する時の「外」と「内」の区別という考えが私にとって興味深かったです。
同じ文化圏の翻訳と違って、日本語を英語に「書き直す」ことは苦労も多いが、異質だからこそ言葉のボーダーを超えてゆく喜びも大きかった。
リービ英雄さんが書いたその文の中で一番大切なのは「異質」という言葉だと思います。この「異質」が形成された要因は言葉だけではなく、文化の差異だろうと思います。翻訳者にとって自分が慣れてきた文化は「内」、慣れていない文化は「外」、だから翻訳する時よく「外から翻訳する」という感じがあるでしょう。もちろん、二つの文化圏に慣れて来ればリービ英雄さんのように「内から内に翻訳する」という域に達せるけれども、「外から内に翻訳する」という状況は普通です。

私は「外から外に翻訳する」場合もあるので、それは一番翻訳が難しいのではないかと思います。

先週、「明るい方へ」という詩を翻訳してみました。語彙もとても簡単で、深い意味もあまりなかったのに、適切な英語で書くために三十分ぐらいかかりました。好きだったから友達に勧めた後、中国人の友達は私に「この詩の意味は一体何か、英語にはあまり詩の雰囲気が感じられない」と聞きました。私は時間をかけず、すぐこの詩の中国語訳を教えてあげました。「へえ、きれいな詩だよね」と答えました。やはりプリンストンで三年間勉強しても英語は私にとって「外」の言語なんだと思って、ちょっと恥ずかしく感じました。

二年前日本語の四年生の授業を終わってからすぐマンガの翻訳組に参加した私は当時日本語のレベルはあまり高くありませんでした。しかし中国語へ訳す時あまり難しく感じられませんでした。最近、先生に「どうしてマンガを中国語へ訳すか」と聞かれた時、私は「それは便利だからです」と答えたけれども、本当の答えをはっきり考えたことがありませんでした。でも、リービ英雄のこの文を読んだ私は、やっとこの答えを見つけました。日本語から英語に訳すことはあくまで「外から外までの翻訳」で、まだ私にとって無理だろうと思います。でもこれから頑張って、必ず日本語も英語も自分の「内」の言語にします。

リービ英雄さんのYouTubeビデオのリンクはここ

2012年11月16日金曜日

「深夜食堂」と私のプロジェクトの関係(for class and for project)



先週私が準備したディスカッションでは、「深夜食堂」のマンガの第一話から第三話までについて授業で皆さんと一緒に話しました。
深夜0時から朝の7時頃までの営業で、のれんには単に「めしや」と書かれていますが、常連客からは「深夜食堂」と呼ばれています。
食マンガと分類されるけれども、高級な料理があまりなく、また食べ物の作り方についの紹介もほとんどありません。「食堂」という言葉を使うと、マスターと食客の親密感が出ます。作者の安倍夜郎は「深夜」という時刻を選んで、感動できる人情話を描写しました。まるで表紙に書かれた言葉の「あなたの腹と心の満たし処」ように、「深夜食堂」を読んだ後その人情話は私の心を温めてくれました。

初めて「深夜食堂」というマンガを読んだのは去年の夏でした。私が大好きだったのはその食べ物と繋がっている感情と文化でした。「めしや」という形式でお客様と彼らが好む食べ物の話を皆に教え、感動させました。読んでいる時、心で流れているのはめしの味だけではなく、人情の味だと思いました。私は料理が大好きなので、外国に行く時必ず外国の料理を食べます。特に家庭料理を食べた時、外国の文化や人情や色々な授業で教えない伝統などがすっと自分のこころに流れて来ました。

外国の知識を勉強する時意見の交換は大切だけれども、外国の文化を理解できるために感情の交換はもっと大切だろうと思います。その点から見ると、国際的な交流を促進するために、意見を交換することだけで足りなく、感情的な交流も必要なのではないでしょうか。感情的な交流ができるメディアの中で、料理と音楽の効果は一番いいと思うので、私の今学期のプロジェクトも深夜食堂の形式を参考し、活動をする時、 参加者は一緒に料理を作って、自分の大好きな食べ物に関する感動できる話を他の人に教えます。私のプロジェクトについて具体的な情報は後のポストに載せます!では、皆さん、良い週末を〜

2012年11月12日月曜日

翻案小説について (for class)



先週の授業で翻訳と翻案の区別について考えました。翻案というのは、むしろ訳された言語・文化寄りに元のテキストを編み直すことだと言えます。「菜の花」の例は俳句から英語の詩に訳すことですけれども、実は翻案の作品は元の形にとらわれず、詩、小説、曲、アニメや映画などの形式もたくさんあります。つまり、二次的著作物だと言えます。古代日本は中国の影響を受け、たくさんの詩や小説の翻案を作りましたが、19世紀から西洋の文学の翻案が多くなりました。ウィキペディアの定義によると、日本の翻案小説は外国作品から、その内容やあらすじはそのままにして、風俗・地名・人名などを自国に合わせて翻訳した小説です。とても有名な日本の作家太宰治(だざい おさむ)の一番有名な作品は「人間失格」ですが、彼が書いた「走れメロス」という有名な短編小説もあるドイツ文学作品の翻案小説だと言われています。

それ以外に、私は翻案小説が外国の文学作品を編み直すことに限られないと思います。それはなぜかというと、自国の言語は時間の推移によって発展してきたからです。例えば、中国の「三国志」という小説の撰者は陳寿(233年 - 297年)でした。日本では三国志の翻案作品の小説もマンガもゲームもテレビドラマも大人気です。もちろん日本の三国志に関する作品は「翻案」だと呼ばれていますが、中国の明代(約16世紀)に書かれた「三国志演義」も「翻案」だと思います。千年も経った中国語はたくさん変わったところがあるので、元の「三国志」を読める人はあまりいなかったでしょう。「三国志演義」は当時の中国の一般人向き当時の流行語を使って「三国志」から編み直した翻案小説だと思います。

皆さん、自分の国で昔の小説からもう一度現代語で書き直された文学作品はありますか。もしあったら、これは翻案作品だと呼ばれると思いますか?:)

2012年10月24日水曜日

冨樫の長い文はなぜ読みやすいのか (for fun)

先日載せた翻訳の例は冨樫義博の「ハンターハンター」から選んだ文でした。その例を探した私は、とても面白い文を見つけました。その文の一部を皆と一緒にシェアしたいと思います。
ちなみに、当時は「HUNTER×HUNTER」が2年近い休載から復活したばかりの頃なので文章もそれらしいものになっています。相変わらず上手い。これだけの文章量を「読まされてしまう」。この感覚も20ヶ月ぶりか…。以前から冨樫作品はどんなに文章量が多くてもそれを「長い」とか「読みにくい」と感じたことは無くて、むしろスラスラと読まされてしまうですよね。それは何故か、ってのを自分なりにちょっと考えてみた。要因は主に3つ。 
要因①:セリフの二分割 
一つ目の要因はセリフを一つのコマに二分割しているから。今週のだけ見てみても、かなりの割合でセリフが二分割されていている。今週のジャンプの P267なんかはその最たるもので、わざわざウェルフィンの顔を右目と左目、口の三つのカットに分けた上でそれぞれセリフを二分割している。まあ『二分割』という表現が正しいかどうか正直自分でも微妙なところなんですが、でも他にいい言葉が見つからなかったので…。要するに左右にセリフを展開しているってことです。
二分割と言っても上と下ではなく、必ず右と左に二分割。これらから推察できるのは、右と左に二分割するのが漫画にとって一番読みやすい形式だってこと。なんでそれが一番読みやすいのかと言うと、漫画とはページの右上から左下へ読むようになっているからではないでしょうか。そういった漫画独特の特性を利用してるわけです。
(中略)  とまあ、ここまで語っておいてなんだけど他の漫画も基本的には右と左に二分割している。漫画制作の上で基本的なことだとは思うけど、でもここまで徹底している漫画は少なくともジャンプでは「HUNTER×HUNTER」だけ。
要因②:短文の連続二つ目の要因は、右と左のセリフでそれぞれ文章が一度完結しているという点。冨樫作品では全体的にどんなに文章量が多くても一つ一つの文章量は至って普通。むしろ少ないくらいかもしれない。つまり、短い文章を連続して読んでるってことです。(ちゅ
要因③:俳句のリズム(中略)読むリズムに関して冨樫作品が他のジャンプ作品と一線を画しているのは、一つ一つの文章(セリフ)がテンポの良い字数で形成されているという点。「テンポの良い字数っていくつだよ」と思う人もいるかもしれませんがそれはズバリ『五』と『七』です。そう、つまり俳句です(もちろん短歌や川柳も)。(中略)あと関係ないかもしれませんが「かめはめ波」とか「アバンストラッシュ」とか(笑)。いつまでも覚えている言葉というのは、何度も読んだり聞いたりしているから覚えているのだけではなく、こうして良いリズムが形成されてたりしていることが非常に多いです。他にもたくさんあるので探してみると結構面白いですよ。
もし全文に興味があったら、リンクはこちら
http://manganokokoro.blog73.fc2.com/blog-entry-834.html 

2012年10月22日月曜日

翻訳者にとってどんな態度は必要なのか (for class)

 先週の読み物を読んだ後、「翻訳をする時、意訳と直訳のバランスを取るのは凄く難しくて、またその作家のスタイルとリズムを真似するのはもっと難しいなぁ〜」と思いました。その点からみると、完璧な翻訳はほとんどありません。けれども、翻訳は国々の文化の交流のために不可欠な存在だと思います。

 先週、中国の作家莫言(モオ・イエン)はノーベル文学賞を受賞しました。初めて文学賞を受賞した中国人ですから、私も中国の友達もとても嬉しかったです。しかし、受賞は全て莫言氏の努力でもありませんでした。半分は彼の本を一生懸命翻訳したスウェーデンの翻訳家Anna Gustafsson Chen のおかげです。外国語で文学を読むのは一般人にとって一生かかってもできないので、素晴らしい翻訳が出来る人はとても大切なのではないでしょうか。

 翻訳者の重要性を認識すると同時に、私も今の翻訳家不足を心配しています。テクノロジーがどんどん発展している今、外国語が理解できる人は多くなってきたのに対し、優秀な翻訳家は少なくなってきました。それは何故かというと、翻訳は時間がかかるからだろうと思います。ある台湾の有名な翻訳家(彼女は源氏物語を中国語に訳しました)によると、いい翻訳者はまずいい読者として、原作の感情を読め、作者の声を聞けます。翻訳する時、作者がまるで自分の後ろでたっていてお互いに話しているように感じたそうです。名作の翻訳を終わった時、まるで恋人と別れてしまうように泣きたかったそうです。彼女が言ったのは翻訳の最高のレベルなのではないでしょうか。残念なことに、現在外国語の文章を翻訳する時、多くの翻訳者は早く終りたくて、全然彼女のレベルに達せないのです。


 マンガを訳し始めた時、翻訳グループの皆さんと一緒にとても難しい文を訳したことが一度あります。ハンターハンター315の詩でした。ある人はリーダーに「読者が訳文を分かったらいい。なぜ一生懸命作家の気持ちを理解してスタイルを真似するの?」と言いました。リーダーは大変怒りました。「そのマンガを書いた人にとって、その文は彼の赤ちゃんみたいなのよ。我々の訳文も自分の赤ちゃんみたいなのよ。責任をとらなきゃだめだよ!」

 以下は翻訳グループが問題した文です。スタイルはとても古くて、訳しにくいです。右のイメージは英語の翻訳ですが、もっと書きなおす必要があると思いますか。もしみんなさんは興味があれば、翻訳してみてください。

さあ  乾杯しやう
乾杯しやうぢゃないか 人といふものどもに
善人も悪人も いつの世も 人はくり返す
膿むには余りに長く  学ぶには余りに短い  時の螺旋上
だからこそ好く欲し  好く発するのだらう?
命など 陽と地と詩とで満たされるほどのものなのに
<菊地正央「人といふもの」(民明書房)より一部抜すい>