2012年4月22日日曜日

「大地の子」の結末の意味

今週は「大地の子」の最終回を見た。本当の父親と一緒に長江三峡の絶景を見た時、別れの言葉を言った。
「大地の子。大地の子です。私はこの大地の子です。この中国の大地が、私の父なんです。母なんです。」父の目に涙が溢れたようだった。きっと父はこの言葉が永遠の分かれの言葉を知ったのだ。
  「永遠の別れ」という言葉は実際フィジカルな別れでなく、心理的な別れだと思う。その場面を見た私は一人のアイデンティティが何によって定義するのかについて、新しい見解を見つけた。血ではなく、国籍でもなく、その国の山と川などの自然に対する感情だ。このような感情は特別な人に対する感情ではないので、実際この土地に対する誠実な感情だ。日本で富士山の詩がたくさんあるだろう。日本人は富士山を見るとき、自分の母を見るときと同じように感動して、そして感謝する気持ちがあるだろう。中国人も同じだと思う。何千年前から、三峡の美しさを歌った詩はたくさんあった。自分の祖国の一番大きい山と川を見るとき、感動する気持ちはどのような憎みも悲しみも超えさせると思う。私は富士山を見るとき、「美しいなぁ」と思うが、三峡の山と川を見るとき、「この土地は私の母だ」と思うように感動してしまった。つまり、外国の自然を見るときと祖国の自然を見る時、自分の感じ方も変わってしまうと思う。
富士山
三峡


 陸一心の場合も同じなのではないだろうか。富士山を見た時、自分の小さい時のことを思い出した。彼が富士山を見た場面は三峡で父親と永遠に別れた場面の伏線だろうと思う。富士山は日本人の血を持っている陸一心と彼の日本についての記憶の絆だが、三峡は彼の祖国の大地への愛情と感動を含んでいるのではないだろうか。ある中国の詩人艾青(アイ チン)は「この土地を愛している」という有名な詩を書いた。「私の眼はどうしていつも涙を湛えているのだろう。それは、私がこの土地を深く激しく愛しているからだ」。陸一心もこの土地に対し、涙が溢れるほど愛していたのではないだろうか。

4 件のコメント:

  1. 日本も中国もどちらでも美しい自然に恵まれた国ですね。やはり祖国の自然風景を見ると、すぐ祖国に対しての愛が湧きますね。たとえ三峡に行ったことがない中国人も三峡の写真を見ると、自然に「母」と「祖国」などの言葉が頭に浮かんできますね。そういえば、アメリカの友達は何を見ると一番「祖国」を思い出すかを知りたくなりました^^

    返信削除
    返信
    1. たくさん返事を書いてくれてありがとうございました。私も同じようにアメリカの友達が何を見るとき一番「祖国」を思い出すかを知りたいですね。^^

      削除
  2. 三峡が中国人には「祖国」や「母」というイメージのところなんですね。私はこのような背景知識が全然ないままこの結末を見ましたので、どうしていきなり「この大地が私の母です」という台詞がでたのかちょっと理解できなかったんです。中国人にとって三峡がそんなに意味のあるところならどうして陸一心が涙を流しながら感動してしまったのか分かります。それから、フーさんの質問凄く面白いですね。韓国人にとっては三峡のような自然は何だろうか私も考えてみたいと思います。

    返信削除
  3. ウェンさんの考え方が分かりますが、一心みたいに日本人の血のため差別されて労働改造所のいかされた人々は中国の大地に「感謝する気持ちがある」わけではないでしょうね。確かに、一心が中国で素晴らしい家族ができましたが、中国の大地は本質的にいい連想がないと思います。だからこのドラマの結末がちょっと分かりませんでした。一心はすごく大事な人が中国に住んでいるから中国を選ぶという事だったら分かりますが、これはちょっと意外ですね。

    返信削除