2012年5月6日日曜日

「夕凪の街 桜の国」・悲しいほど感動した

今週は「夕凪の街 桜の国」という漫画を読んだ。原爆投下後の広島市を描いた作品で、被爆して生き延びた女性の10年後の心の移ろう姿を描いた上に、被爆者の子供たちの生活も描いていた。

夕凪の街」で広島の被爆者が自分が一人で生き延びてきたことに対して罪悪感を持っていた。主人公の彼女は悪夢の中でいつも原爆の亡霊から「どうしてあなたは一人で生き残っているか」と問い詰められた。その場面は私にとって考えもつかない場面だった。戦争で生き残った中国人は、自分が生き残ったことについて亡くなった家族に対して罪悪感を感じるけれども、絶対その亡くなった家族の人は自分の生き延びたことを喜んでくれると考える。しかし、彼女の悪夢はまるで戦争時代に自決しなかった日本人が感じた罪悪感ようだった。なので、彼女に恋人ができた時罪悪感に相反しても幸せに生きるように頑張った様子を見た私は、悲しいほど感動してしまった。

桜の国」で関心を持ったことは、被爆者の息子と結婚したい東子は親に反対されたことだった。そういうことは自分のせいではなく、将来どのような悪影響があるかも知らず、一生その「被爆者の子供」として差別に堪えるしかない。その前に、慰安婦の問題を研究した時、元慰安婦は戦後一番憎んでいる人は加害者の日本人ではなく、同じ村に住んでいた中国人であったということを知った。それはどうしてかというと、彼女たちが慰安婦として受けた侮辱はただ一ヶ月から半年ぐらいの間だったが、同胞から受けた差別は一生続いていたからだ。「もし村の男性は日本人と戦ったら、私は慰安婦にならなかったでしょう。」と一人の元慰安婦はこう言った。

戦争被害者にとって一番悲しいのは何か。
体にあるひどい傷跡ではなく、なくなった家族でもなく、自分の同胞に差別され、いじめられることだと思う。

楽観的に自分の生活を選んだ
私は彼女の心情をよく理解できる。戦争の影響は、戦争時代に発生した悲劇だけではなかった。日本人の戦争孤児も広島の被爆者も元慰安婦も、戦争で起こったほんの短い事件のために影響され、それから一生悲惨な生活を暮らしてきた。自分の悲しい運命と楽観的に戦ってきた桜のような強い人達を見た私は、悲しいほど感動した。したがって、「夕凪の街 桜の国」は特別な視点を選び、日常生活の細かいところから被害者の受けた差別もそれから立ち向かう努力も読者に見せ、誰でも共感が出来るのでいい作品だった。戦争被害者の気持ちを理解してから、戦争責任に対し新しい認識もできるのではないだろうか。

戦争の花

先週「中国人に助けられたおばあちゃんの手からうけつぐもの」を読みました。その石川さんというおばあちゃんは若い時中国人に助けられたので、日本に帰ってからどのような差別を受けても一生懸命日中友好を協力しました。

富山妙子の絵画展のポスター

その前、慰安婦問題を勉強した時も気づいたのは、日本の戦争に対する謝罪に貢献した人の中で、女性の力が強かったことでした。例えば、石田米子さんという女性は中国に行って第二次世界大戦に慰安婦だった被害者たちのところへ訪れ、一人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行いました。日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、石田さんは証言の信頼性を確認しながら調査を行い、そして『黄土の村の性暴力』という論文に発表しました。もう一つの例は、富山たえこという女性の画家は日本の戦争責任についてたくさんの創作活動を行ったことです。


私はいつも戦争中で一番美しいのが女性だと思います。自分の子供たちを守るために意外な強さを見せるだけでなく、人生の選択の前に誰よりも柔らかい心を持っています。前ブログに書いた「歴史への態度」で中国の南京虐殺を描いた映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(The Flowers of War)」で、その女性たちが若い学生を助けるために犠牲になってしまったことは史実でした。昔の中国人はそれを「婦人の仁」と呼び、意気地がないということで、悪いことだと思ってしまいましたが、私はそう思いま線。戦争に対し反省をするのは怯弱ではなく、凄く勇気があることだと思います。もちろん自分の国家のために戦うことは当たり前のことでしたが、女性の努力は世界の平和に貢献しました。男性が主導した戦争は世界を壊してしまいましたが、戦時中と戦後の女性は自分の力で壊れてしまった被害者の心を治すように努力しました。その不可欠な努力は女性の美しさを表しているのではないでしょうか。