2012年12月17日月曜日

プチブル生活、意味あるか (for class)

プチブル印象・ロマンティック
プチブルの文字通りの意味は「プチ・ブルジョア」、中国語で「小資」ということです。元々資本主義と無産階級の中間にある「小資本階級」の人々をそう呼びましたが、現在では政治的イデオロギーや階級観念とは無関係に使用され、新しい生活スタイルを表す言葉に生まれ変わっているということです。
 先週の授業で、日劇の流行とプチブルの形成について考えましたが、私はその二つの関係が因果関係(cause and effect)でなく、中国人の物質的な追求が溢れて来たと同時に日劇で描写された生活に手が届くように思われただけだと思います。
 同じようにプチブル生活スタイルと関係あるものは、ブログ、村上春樹の小説、コーヒー、ジャズ、ワイン、カクテル、三時のおやつなど。おしゃれなものだけなのではないかと思いました。このようなプチブル生活は、物質だけに注目し、ゆとり生活を目指していますが、心からの満足ができるのでしょうか。今の中国は経済が速く発展していると同時に、金でなんでも買えるという考え方が氾濫しているのに対し、人々は精神的に満足していません。特に若者世代の人々は社会への責任感が少なくなりつつあるので、他人を助ける行動からの満足感を得られないでしょう。日劇の影響を見ると、ドラマやテレビ番組の選択に気をつけ、もっと若者世代に社会への責任感を宣伝した方がいいのではないだろうかと思います。

2012年12月7日金曜日

正義をどう守護するか (for class)

デスノートの映画のポスターですが、私が映画のLが一番好きですからこのポスターを載せました(笑)
先週の金曜日、レブサックさんのお陰で『DEATH NOTE』(デスノート)というアニメを見ました。私は中学校の時このアニメを見たことがありましたが、暗くてもいいアニメだと思いました。もしみなさん内容について知らないなら、ウィキペディアによると、このアニメは名前を書いた人間を死なせることができるという死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を殺し、理想の世界を作り上げようとする夜神月(ライト)と、世界一の名探偵・Lによる頭脳戦を描く物語だそうです。
 授業の時私にとって一番いい質問はライトとLの違いでした。同じように頭がよくて、スーパーヒーローのような人物なのに、この二人は一体どんな違いがあるのでしょうか。主観的に言うと、Lはライトよりもっと理性的なので、私はLの方が好きです。もっと客観的な視点から見ると、二人は共通点が多く、特に正義を守りたいという価値観は同じなのではないだろうかと思いす。しかし、価値観が近くても、正義を守る手段は全く違うのです。ライトは理想主義者として新しい世界を作るためにどのような手段を使ってもいいと信じているのに対し、Lは犯罪者を見つけるのが自分の責任だけど裁決は法律が決定するものだと信じています。
 私が高校の時、一度「法律は完全ではないので時々非情な手段を取るのが必要だ」と思ったことがあります。しかし、法律が完全ではないので、法律さえ完全にすると将来同じ様な問題が解決できるのではないでしょうか。ライトのように自分の考えを法律にしようということは独裁者とどう違いますか。例えば、中国のある地方で法律の不足が深刻な地域があります。もしある日私が官僚になったら、自分の力で完全に規制を確保することはできないでしょう。将来人民の幸せを守るためにやはり完全な法律の体系を作って、官僚の権力を制約できる機関を成立するのは一番大切なのではないでしょうか。その体系を守るために自分が犠牲になってもいいーーそれはLから見た考えです。

2012年12月3日月曜日

越境してきた韓流 (for class)

韓国のアイドル団体の中で大人気の東方神起
先週ポップカルチャーの授業について勉強しましたが、日本のマンガ産業にあるグローバライゼーションとローカライゼーションの過程と影響を分析しました。アジアで今一番流行しているのは韓国のドラマや音楽やアイドル団体などだと思います。したがって、今度は韓流という点から分析したいと思います。
 まず、韓流とは何ですか。ウィキペディアはこのように紹介しました。
1997年(平成9年)のアジア通貨危機によって韓国経済が破綻すると、韓国は官民を挙げて韓国ドラマや映画などコンテンツの輸出を推進し、韓国政府も積極的にコンテンツ産業振興策を支援した。日本のテレビドラマの価格上昇や香港映画の衰退などの追い風も受けて、韓国の俳優や音楽など大衆文化に対する人気が高まってブームが形成された。
つまり、韓流の代表としてのドラマや映画や音楽やアイドル団体は政府が支援したのです。韓流に関係する様々な産業にとって、文化輸出は経済輸出の前提です。ドラマや映画をアジア諸国に輸出する過程は「グローバライゼーション」です。そして、色々な国の人がこれらの番組や音楽やダンスを好きになってから模倣しようとするのは「ローカライゼーション」です。中学校の時友達は良く韓国スタイルのヒップホップを真似しました。高校の時友達は韓国のドラマの主人公のような服を買って韓国のスタイルを真似しました。今大学で、歌のグループの友達は東方神起の音楽をアカペラに変えて歌いました。これらの具体的な例から見ると、韓流のローカライゼーションはよく進んだのではないでしょうか。また、逆に世界中のファンは韓国のアイドル団体に参加し、今新しいアイドル団体の国籍も多様になったそうです。例えば、f(x)という女性団体の隊長ビクトリアは中国人で、CROSS GENEという男性団体は二人が中国人、一人が日本人、三人が韓国人です。世界からアイドル団体に応募する人数が増えたのは「ローカライゼーション」の成功なのではないでしょうか。ですから「韓国のアイドル団体」ではなく、「アジアのアイドル団体」と言えますね。

2012年11月28日水曜日

中国のアニメ産業 (for class)


 先週は日本のマンガとアニメ産業、特に日本のイメージ同盟について勉強しました。日本では、まずマンガの雑誌で色々な新作が現れ、もし人気を得ればスポンサーによって動画化され、またキャラクター商品なども販売されます。中国は日本のマンガとアニメ文化に強く影響されても、マンガを中心とするイメージ同盟はありません。なぜかというと、中国の出版業界とテレビ局の関係は日本のように緊密ではないからだろうと思います。また、中国でアニメはマンガより人気が出やすいからだろうと思います。

 日本の子供(特に男の子)だったら、毎週少年ジャンプなどを読むのは普通でしょう(コンビニで立って読んでもいいから)。中国ではコンビニでマンガの雑誌を読むのは無理です。もし子供がマンガの雑誌とかを買ったら、絶対お母さんに責められます。だから、中国の子供はマンガを読むことより、毎日学校から家に帰った後五時から七時までアニメを見る方が普通です。

 私が小さい時一番楽しかったのはその時間アニメを見ることでした。セイントセイヤ、スラムダンク、セーラームーンなど、私は小学校時代何度もテレビで見ました。夏休みの時、テレビチャンネルで朝九時から午後五時まで連続放送があったので、一日中ずっとアニメを見るのが大変楽しかったです。しかし、今中国のテレビチャンネルでそのように長い時間日本のアニメの連続放送はもうありません。私の高校時代から中国のテレビ局は中国の自分のアニメ文化があまり存在していないという事実を意識し、自国のアニメ産業を支持するために、一日二時間以上外国のアニメの放送を禁止するという政策を作りました。それが原因で、私の十二歳のいとこは今中国のテレビ局が制作した番組しか知りません。彼女が好きなアニメ「喜羊羊与灰太狼(シーヤンヤンとホイタイラン)」はとても面白くて、大人気なのでもう映画化されました。彼女はアニメと映画を見る上に、シーヤンヤンの人形もいくつか持っているから、日本のアニメ同盟の点から見るとこのアニメは商業化の目的も達成したでしょう。中国のテレビ局にとって、政策を利用して自国のアニメ産業を支持するのはちょっと極端なんですけれども、効果があるのではないでしょうか。

2012年11月21日水曜日

どうして私はマンガを英語に訳すことができないかについて (for class)


リービ英雄の国際比較文学の世界大会での日本語の発表についての記事を読んだ後、彼が言った翻訳する時の「外」と「内」の区別という考えが私にとって興味深かったです。
同じ文化圏の翻訳と違って、日本語を英語に「書き直す」ことは苦労も多いが、異質だからこそ言葉のボーダーを超えてゆく喜びも大きかった。
リービ英雄さんが書いたその文の中で一番大切なのは「異質」という言葉だと思います。この「異質」が形成された要因は言葉だけではなく、文化の差異だろうと思います。翻訳者にとって自分が慣れてきた文化は「内」、慣れていない文化は「外」、だから翻訳する時よく「外から翻訳する」という感じがあるでしょう。もちろん、二つの文化圏に慣れて来ればリービ英雄さんのように「内から内に翻訳する」という域に達せるけれども、「外から内に翻訳する」という状況は普通です。

私は「外から外に翻訳する」場合もあるので、それは一番翻訳が難しいのではないかと思います。

先週、「明るい方へ」という詩を翻訳してみました。語彙もとても簡単で、深い意味もあまりなかったのに、適切な英語で書くために三十分ぐらいかかりました。好きだったから友達に勧めた後、中国人の友達は私に「この詩の意味は一体何か、英語にはあまり詩の雰囲気が感じられない」と聞きました。私は時間をかけず、すぐこの詩の中国語訳を教えてあげました。「へえ、きれいな詩だよね」と答えました。やはりプリンストンで三年間勉強しても英語は私にとって「外」の言語なんだと思って、ちょっと恥ずかしく感じました。

二年前日本語の四年生の授業を終わってからすぐマンガの翻訳組に参加した私は当時日本語のレベルはあまり高くありませんでした。しかし中国語へ訳す時あまり難しく感じられませんでした。最近、先生に「どうしてマンガを中国語へ訳すか」と聞かれた時、私は「それは便利だからです」と答えたけれども、本当の答えをはっきり考えたことがありませんでした。でも、リービ英雄のこの文を読んだ私は、やっとこの答えを見つけました。日本語から英語に訳すことはあくまで「外から外までの翻訳」で、まだ私にとって無理だろうと思います。でもこれから頑張って、必ず日本語も英語も自分の「内」の言語にします。

リービ英雄さんのYouTubeビデオのリンクはここ

2012年11月16日金曜日

「深夜食堂」と私のプロジェクトの関係(for class and for project)



先週私が準備したディスカッションでは、「深夜食堂」のマンガの第一話から第三話までについて授業で皆さんと一緒に話しました。
深夜0時から朝の7時頃までの営業で、のれんには単に「めしや」と書かれていますが、常連客からは「深夜食堂」と呼ばれています。
食マンガと分類されるけれども、高級な料理があまりなく、また食べ物の作り方についの紹介もほとんどありません。「食堂」という言葉を使うと、マスターと食客の親密感が出ます。作者の安倍夜郎は「深夜」という時刻を選んで、感動できる人情話を描写しました。まるで表紙に書かれた言葉の「あなたの腹と心の満たし処」ように、「深夜食堂」を読んだ後その人情話は私の心を温めてくれました。

初めて「深夜食堂」というマンガを読んだのは去年の夏でした。私が大好きだったのはその食べ物と繋がっている感情と文化でした。「めしや」という形式でお客様と彼らが好む食べ物の話を皆に教え、感動させました。読んでいる時、心で流れているのはめしの味だけではなく、人情の味だと思いました。私は料理が大好きなので、外国に行く時必ず外国の料理を食べます。特に家庭料理を食べた時、外国の文化や人情や色々な授業で教えない伝統などがすっと自分のこころに流れて来ました。

外国の知識を勉強する時意見の交換は大切だけれども、外国の文化を理解できるために感情の交換はもっと大切だろうと思います。その点から見ると、国際的な交流を促進するために、意見を交換することだけで足りなく、感情的な交流も必要なのではないでしょうか。感情的な交流ができるメディアの中で、料理と音楽の効果は一番いいと思うので、私の今学期のプロジェクトも深夜食堂の形式を参考し、活動をする時、 参加者は一緒に料理を作って、自分の大好きな食べ物に関する感動できる話を他の人に教えます。私のプロジェクトについて具体的な情報は後のポストに載せます!では、皆さん、良い週末を〜

2012年11月12日月曜日

翻案小説について (for class)



先週の授業で翻訳と翻案の区別について考えました。翻案というのは、むしろ訳された言語・文化寄りに元のテキストを編み直すことだと言えます。「菜の花」の例は俳句から英語の詩に訳すことですけれども、実は翻案の作品は元の形にとらわれず、詩、小説、曲、アニメや映画などの形式もたくさんあります。つまり、二次的著作物だと言えます。古代日本は中国の影響を受け、たくさんの詩や小説の翻案を作りましたが、19世紀から西洋の文学の翻案が多くなりました。ウィキペディアの定義によると、日本の翻案小説は外国作品から、その内容やあらすじはそのままにして、風俗・地名・人名などを自国に合わせて翻訳した小説です。とても有名な日本の作家太宰治(だざい おさむ)の一番有名な作品は「人間失格」ですが、彼が書いた「走れメロス」という有名な短編小説もあるドイツ文学作品の翻案小説だと言われています。

それ以外に、私は翻案小説が外国の文学作品を編み直すことに限られないと思います。それはなぜかというと、自国の言語は時間の推移によって発展してきたからです。例えば、中国の「三国志」という小説の撰者は陳寿(233年 - 297年)でした。日本では三国志の翻案作品の小説もマンガもゲームもテレビドラマも大人気です。もちろん日本の三国志に関する作品は「翻案」だと呼ばれていますが、中国の明代(約16世紀)に書かれた「三国志演義」も「翻案」だと思います。千年も経った中国語はたくさん変わったところがあるので、元の「三国志」を読める人はあまりいなかったでしょう。「三国志演義」は当時の中国の一般人向き当時の流行語を使って「三国志」から編み直した翻案小説だと思います。

皆さん、自分の国で昔の小説からもう一度現代語で書き直された文学作品はありますか。もしあったら、これは翻案作品だと呼ばれると思いますか?:)

2012年10月24日水曜日

冨樫の長い文はなぜ読みやすいのか (for fun)

先日載せた翻訳の例は冨樫義博の「ハンターハンター」から選んだ文でした。その例を探した私は、とても面白い文を見つけました。その文の一部を皆と一緒にシェアしたいと思います。
ちなみに、当時は「HUNTER×HUNTER」が2年近い休載から復活したばかりの頃なので文章もそれらしいものになっています。相変わらず上手い。これだけの文章量を「読まされてしまう」。この感覚も20ヶ月ぶりか…。以前から冨樫作品はどんなに文章量が多くてもそれを「長い」とか「読みにくい」と感じたことは無くて、むしろスラスラと読まされてしまうですよね。それは何故か、ってのを自分なりにちょっと考えてみた。要因は主に3つ。 
要因①:セリフの二分割 
一つ目の要因はセリフを一つのコマに二分割しているから。今週のだけ見てみても、かなりの割合でセリフが二分割されていている。今週のジャンプの P267なんかはその最たるもので、わざわざウェルフィンの顔を右目と左目、口の三つのカットに分けた上でそれぞれセリフを二分割している。まあ『二分割』という表現が正しいかどうか正直自分でも微妙なところなんですが、でも他にいい言葉が見つからなかったので…。要するに左右にセリフを展開しているってことです。
二分割と言っても上と下ではなく、必ず右と左に二分割。これらから推察できるのは、右と左に二分割するのが漫画にとって一番読みやすい形式だってこと。なんでそれが一番読みやすいのかと言うと、漫画とはページの右上から左下へ読むようになっているからではないでしょうか。そういった漫画独特の特性を利用してるわけです。
(中略)  とまあ、ここまで語っておいてなんだけど他の漫画も基本的には右と左に二分割している。漫画制作の上で基本的なことだとは思うけど、でもここまで徹底している漫画は少なくともジャンプでは「HUNTER×HUNTER」だけ。
要因②:短文の連続二つ目の要因は、右と左のセリフでそれぞれ文章が一度完結しているという点。冨樫作品では全体的にどんなに文章量が多くても一つ一つの文章量は至って普通。むしろ少ないくらいかもしれない。つまり、短い文章を連続して読んでるってことです。(ちゅ
要因③:俳句のリズム(中略)読むリズムに関して冨樫作品が他のジャンプ作品と一線を画しているのは、一つ一つの文章(セリフ)がテンポの良い字数で形成されているという点。「テンポの良い字数っていくつだよ」と思う人もいるかもしれませんがそれはズバリ『五』と『七』です。そう、つまり俳句です(もちろん短歌や川柳も)。(中略)あと関係ないかもしれませんが「かめはめ波」とか「アバンストラッシュ」とか(笑)。いつまでも覚えている言葉というのは、何度も読んだり聞いたりしているから覚えているのだけではなく、こうして良いリズムが形成されてたりしていることが非常に多いです。他にもたくさんあるので探してみると結構面白いですよ。
もし全文に興味があったら、リンクはこちら
http://manganokokoro.blog73.fc2.com/blog-entry-834.html 

2012年10月22日月曜日

翻訳者にとってどんな態度は必要なのか (for class)

 先週の読み物を読んだ後、「翻訳をする時、意訳と直訳のバランスを取るのは凄く難しくて、またその作家のスタイルとリズムを真似するのはもっと難しいなぁ〜」と思いました。その点からみると、完璧な翻訳はほとんどありません。けれども、翻訳は国々の文化の交流のために不可欠な存在だと思います。

 先週、中国の作家莫言(モオ・イエン)はノーベル文学賞を受賞しました。初めて文学賞を受賞した中国人ですから、私も中国の友達もとても嬉しかったです。しかし、受賞は全て莫言氏の努力でもありませんでした。半分は彼の本を一生懸命翻訳したスウェーデンの翻訳家Anna Gustafsson Chen のおかげです。外国語で文学を読むのは一般人にとって一生かかってもできないので、素晴らしい翻訳が出来る人はとても大切なのではないでしょうか。

 翻訳者の重要性を認識すると同時に、私も今の翻訳家不足を心配しています。テクノロジーがどんどん発展している今、外国語が理解できる人は多くなってきたのに対し、優秀な翻訳家は少なくなってきました。それは何故かというと、翻訳は時間がかかるからだろうと思います。ある台湾の有名な翻訳家(彼女は源氏物語を中国語に訳しました)によると、いい翻訳者はまずいい読者として、原作の感情を読め、作者の声を聞けます。翻訳する時、作者がまるで自分の後ろでたっていてお互いに話しているように感じたそうです。名作の翻訳を終わった時、まるで恋人と別れてしまうように泣きたかったそうです。彼女が言ったのは翻訳の最高のレベルなのではないでしょうか。残念なことに、現在外国語の文章を翻訳する時、多くの翻訳者は早く終りたくて、全然彼女のレベルに達せないのです。


 マンガを訳し始めた時、翻訳グループの皆さんと一緒にとても難しい文を訳したことが一度あります。ハンターハンター315の詩でした。ある人はリーダーに「読者が訳文を分かったらいい。なぜ一生懸命作家の気持ちを理解してスタイルを真似するの?」と言いました。リーダーは大変怒りました。「そのマンガを書いた人にとって、その文は彼の赤ちゃんみたいなのよ。我々の訳文も自分の赤ちゃんみたいなのよ。責任をとらなきゃだめだよ!」

 以下は翻訳グループが問題した文です。スタイルはとても古くて、訳しにくいです。右のイメージは英語の翻訳ですが、もっと書きなおす必要があると思いますか。もしみんなさんは興味があれば、翻訳してみてください。

さあ  乾杯しやう
乾杯しやうぢゃないか 人といふものどもに
善人も悪人も いつの世も 人はくり返す
膿むには余りに長く  学ぶには余りに短い  時の螺旋上
だからこそ好く欲し  好く発するのだらう?
命など 陽と地と詩とで満たされるほどのものなのに
<菊地正央「人といふもの」(民明書房)より一部抜すい>

2012年10月19日金曜日

お酒が起した悲劇 (for class)



今週星新一の短編小説「リンゴ」と「なぞの女」を読んだ。「リンゴ」で、ある男(Aさん)は四十歳になる時までまだ独身だったし、女性との関係もとても混乱していた。結果、酔っ払った際にある女性の主人に死ぬほど殴られてしまった。「なぞの女」の主人公邦夫はお酒を飲み過ぎ、奥さんのことを全部忘れてしまった。その二つの小説から見ると、二人の男性の主人公はお酒を飲みる過ぎ際に家族と離れてしまうようだ。また、その二人がお酒を飲む場所は家ではなく、外だということだ。

お酒は人の感情を強くするものだ。家の人と一緒にお酒を飲んだら、幸せな感じを何倍も増やすことができる。会社の同僚と一緒に飲んだら、とても冷酷な上司もちょっと人間らしくなるだろう。だから、お酒を飲む時、相手と自分の気持ちは関係が深くなる。気分が塞ぐとき、一人でお酒を飲んだら誰も助けられなく、家族との関係も悪くなる。それに対して、家族と一緒に飲んだら、ちょっと嬉しくなり、家族との関係もよくなるかもしれない。しかし、日本人はよく自分の感情や弱さを表すのが嫌なので、妻と一緒に飲むのは無理だろう。そのような心理では、お酒はいつも自分の悲観的な感情しか強調しない。お酒が起こした悲劇はお酒だけのせいではなく、感情を表さない心理のせいだろうと思う。

2012年10月15日月曜日

翻訳に気をつけて!笑いものになっちゃうぞ (for class)

「ナルト」で使われた「九喇嘛」という漢字
 私はあるマンガの翻訳グループで「ナルト」と「トリコ」を日本語から中国語に翻訳したことがある。一番難しいのは名前を訳すことだった。「トリコ」は美食に関するマンガだが、いつも変な食材や食品の名前が出ている。「ナルト」は変な名前があまりなかったが、一度とても面白いケースが出たことがある。九尾の名前だった。
 「クラマ」という名前は一体何か。
 「クラマ」は、マンガで名前として出たことがある。「幽遊白書」というマンガで「蔵馬」は読み方が九尾の名と同じように「クラマ」だが、二つの実体は同じ妖狐だ。日本人は妖狐の伝説が好きなのか?たくさんの漫画で妖狐が現れている。「ナルト」の著者岸本斉史もその妖狐の名前で言葉遊びをしたかったようだが、わざわざ「九喇嘛」という複雑な漢字を見つけた。しかし、私達の翻訳グループは、もしその作者が日本語で漢字を使ったら、中国語も同じ漢字を使うという翻訳のルールがある。だから、九尾の名前は中国語で「九喇嘛」(literally, the ninth lama)になった。喇嘛とは、中国語でチベット仏教の僧侶という意味がある。ウィキによると、「ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般に「ラマ教」(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれている。」
 九尾=九番目の高僧(こうぞう、famous Buddhist priest)?
 へぇぇ!?
 笑いものになっちゃうけど、九喇嘛は九喇嘛だろう。フットノートを使わなければならない。翻訳で得るものが時々あるけど、失ってしまうこと(特に名前の意味から)はいっぱいあるのではないだろうか。

2012年10月8日月曜日

アジア人にとって、英語をどう勉強するの?(for class)

「宿題を書け!!!」「いやぁぁ〜〜〜」
言語学のある理論によると、世界の言語はお互いに「距離」があります。例えば、フランス語、スペイン語と英語は近いし、中国語、日本語と韓国語は近いです。西洋語と東洋語のシステムはお互いに遠いので、中国人も日本人もよく「英語が難しいので、どのように頑張っても使いこなせない」と言います。しかし、今の中国人は外国に行かなくても英語がペラペラ話せる可能性があります。なぜなら、興味は一番大切だと思うからです。私はいとこがいる上海外国語大学附属校(Shanghai Foreign Language School)の夏休みの英語の宿題を皆さんに見せたいと思います。
 1.5つの本(Alice's Adventures in Wonderland, Treasury Island, Jane Eyre, etc.)を読む。本について5つの感想を書く。
 2.英語の歌(Heal the World, We Are the World, You Raise Me Up, etc.)を勉強し、歌ってみる。
 3.毎日英語で一番気になるニュースを一つ書く。
 4.毎日英語で詩を詠む。
 ・・・
 皆さん、このリストを見てどう思いますか?小学校を卒業したばかりの子供にとって、大変でしょう。いとこは英語の小説を読むことは始めてでした。「どうでもできない」と泣きました。でも宿題は宿題でしょう。私は彼女に「あなたが自分で読まなければならない。書かなければならない。お姉さんには何もできないよ。」と言い、そして彼女に「一つチャプターを読んだら、私にこの話を教えて下さい」と頼みました。[厳しいお姉さん?( ̄▽ ̄)]始めの二つのチャプターの意味がわかった後、彼女はすぐ楽しくなって読み続けました。読んでいる時よく私に「えぇぇ!!ロチェスターは妻がいる!!」と言ったり、「ジェーンはかわいそうねぇ〜」と言ったりしました。結果、一日で「ジェーン・エア」という小説を読み終わりました。
 もう一人の例がありますが、私のお母さんの友達の子は、とても伝統的な中学校に入って、夏休みの宿題は三冊の文法の宿題があったそうです。彼女の宿題を繰り返した一日間はその小説を読んだ一日間と比べると、皆さんどう思いますか?

2012年10月4日木曜日

ポニョ!宮崎の女性意識 (for class)


先週、ダニエルさんのお陰で、宮崎駿さんが監督したとても可愛い映画「崖の上のポニョ」を見ました。この映画はとても深いテーマがなくて、簡単に可愛い五歳の男と女の愛情を表しています。その中で、一番気付いたのは、女のキャラクターと男のキャラクターの数です。主役の男はポニョが好きな男宗介とポニョの父親フジモトしかいません。でも心が強い女のキャラクターはたくさんいます。主人公のポニョは自分の愛情を追うために強い魔法を使って海から宗介の家に行きました。ポニョの妹たちはポニョを助けるために頑張ってフジモトの魔法を壊しました。嵐が来た時宗介の母親は老人のことを心配して一人で向かって行きました。ポニョの母親は一番強い魔法を持ってまるで神様のようですが、自分の娘の幸せのために古い魔法を使って、娘を人間の女の子に変えました。老人ホームの人も全部お婆さんです。一番変なお婆さんも宗介のことを考えて心配しました。
 それはなぜかというと、私は女性と子供の関係は一番親しく、そして、子供と自然の関係は一番親しいからだと思います。宮崎の女性意識は、実は彼の自然に対して親密な態度と関係が深いです。女性の強い力と柔らかい心のバランスから見ると、宮崎は人間と自然の関係を改善する鍵も提出したのではないでしょうか。力が強くても、心の柔らかを守ってください。
 

2012年9月30日日曜日

言語教育とは何か(for class)


先週、外国語教育について書いたが、今週そのトピックを続け、言語教育について述べたいと思う。
 言語教育は、外国語を勉強することだけではなく、自分の国の言葉の勉強も必要だ。その定義から見ると、言葉を使って自分の意見を表す方法はどの言語を使っても同じだ。どうしてハイコンテキストとローコンテキストの違いがあるかというと、意見を表す方法は言葉だけではないからだと思う。国際的な交流を促進するために、相手が自分の文化を理解できなくても分かってくれるように、その文化の壁を越えなければならない。私が英語を勉強し始めた時、良くアメリカ人のスピーチ(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、エイブラハム・リンカーンなど)を勉強した。その時の私は、まだアメリカの歴史について何も知らなかったけれども、そのスピーチを聞いてから自由と平等という主張を理解できて、感動してしまった。逆に、現代中国で教材として利用できるスピーチは全くない。その原因は、アメリカ人の多民族文化が中国より強いからだと思う。あるいは、アメリカは民族が多いので、スピーチをする時ハイコンテキストの想定はなく、「言わなくても分かる」ものもない。すべて言語で表しているのだ。それに対し、たくさんの中国の学生たちはどんなに難しい英語の試験をパスしても外国人と交流できない。その問題は一体外国語能力の問題か言語力の問題か。
 今中国の教育者もその言語力の問題を意識して、教育改革を始めていた。私の中学校時代から始まった上海の二期教育改革の教材は、伝統的な宿題以外に個人的な研究プロジェクトも入れて、発表の内容もたくさん加えた。それと同時に、教育システムも改革しないと、教材をどう改革しても教材の内容を学生に受け取られないだろう。上海にある復旦大学(Fudan University)は五年前から、大学入試の改革を始め、四人の大学教授との面接も含め、中国的な特徴(試験)を保留しつつ、アメリカと同じようなシステムを加えた。優秀な学生にとってそのような改革はいい機会だが、そのような検定標準は言語力が弱い学生にとって凄く難しく、しかも負担が大きいのではないだろうか。したがって、私は言語力を高めるために、大学入試を始め、教育制度の改革は必要であると思うが、学生の学力によって違う試験をデザインすることも必要であると思う。
 
 

2012年9月21日金曜日

外国語教育とは何か (for class)


 今週はエスペラント語の発明者の文章を読んだ。エスペラント語は彼が言ったように中立的な特徴があるが、今その言語が出来る人はなかなかいない。それはなぜかというと、エスペラント語の勉強と外国語教育は本質的に違っているからだと思う。
 言語教育は、言葉を教えることではなく、その言語と繋がっている文化を教えることだと思う。一つの例は、外国語を勉強する時教科書以外のメディアをどう選択するかという問題だ。イギリスの英語を勉強する時、シェイクスピア、ジェーン・オースティンなどの詩や小説を選んで、古典を大切にする。アメリカの英語を勉強する時、リンコルンのスピーチやマイケル・ジャクソンの歌詞を選び、自由や平和や平等などの思想を身に付ける。ドイツ語を勉強する時、哲学の本が良く選んで、スペイン語を勉強するとき芸術史の本が良い教材になる。中国語の勉強は高級へ進むと、孔子孟子などの哲学を学ぶことは避けられないだろう。つまり、エスペラント語は文化がなく、歴史、哲学、宗教、芸術などのようなメディアは一つもない。だから、言語としての生命力はない。
 私は筆者と同じように国際共通語の存在が必要だと思うけれども、その言語と繋がっている文化の強さは実際その言語の生命力であると思う。

2012年5月6日日曜日

「夕凪の街 桜の国」・悲しいほど感動した

今週は「夕凪の街 桜の国」という漫画を読んだ。原爆投下後の広島市を描いた作品で、被爆して生き延びた女性の10年後の心の移ろう姿を描いた上に、被爆者の子供たちの生活も描いていた。

夕凪の街」で広島の被爆者が自分が一人で生き延びてきたことに対して罪悪感を持っていた。主人公の彼女は悪夢の中でいつも原爆の亡霊から「どうしてあなたは一人で生き残っているか」と問い詰められた。その場面は私にとって考えもつかない場面だった。戦争で生き残った中国人は、自分が生き残ったことについて亡くなった家族に対して罪悪感を感じるけれども、絶対その亡くなった家族の人は自分の生き延びたことを喜んでくれると考える。しかし、彼女の悪夢はまるで戦争時代に自決しなかった日本人が感じた罪悪感ようだった。なので、彼女に恋人ができた時罪悪感に相反しても幸せに生きるように頑張った様子を見た私は、悲しいほど感動してしまった。

桜の国」で関心を持ったことは、被爆者の息子と結婚したい東子は親に反対されたことだった。そういうことは自分のせいではなく、将来どのような悪影響があるかも知らず、一生その「被爆者の子供」として差別に堪えるしかない。その前に、慰安婦の問題を研究した時、元慰安婦は戦後一番憎んでいる人は加害者の日本人ではなく、同じ村に住んでいた中国人であったということを知った。それはどうしてかというと、彼女たちが慰安婦として受けた侮辱はただ一ヶ月から半年ぐらいの間だったが、同胞から受けた差別は一生続いていたからだ。「もし村の男性は日本人と戦ったら、私は慰安婦にならなかったでしょう。」と一人の元慰安婦はこう言った。

戦争被害者にとって一番悲しいのは何か。
体にあるひどい傷跡ではなく、なくなった家族でもなく、自分の同胞に差別され、いじめられることだと思う。

楽観的に自分の生活を選んだ
私は彼女の心情をよく理解できる。戦争の影響は、戦争時代に発生した悲劇だけではなかった。日本人の戦争孤児も広島の被爆者も元慰安婦も、戦争で起こったほんの短い事件のために影響され、それから一生悲惨な生活を暮らしてきた。自分の悲しい運命と楽観的に戦ってきた桜のような強い人達を見た私は、悲しいほど感動した。したがって、「夕凪の街 桜の国」は特別な視点を選び、日常生活の細かいところから被害者の受けた差別もそれから立ち向かう努力も読者に見せ、誰でも共感が出来るのでいい作品だった。戦争被害者の気持ちを理解してから、戦争責任に対し新しい認識もできるのではないだろうか。

戦争の花

先週「中国人に助けられたおばあちゃんの手からうけつぐもの」を読みました。その石川さんというおばあちゃんは若い時中国人に助けられたので、日本に帰ってからどのような差別を受けても一生懸命日中友好を協力しました。

富山妙子の絵画展のポスター

その前、慰安婦問題を勉強した時も気づいたのは、日本の戦争に対する謝罪に貢献した人の中で、女性の力が強かったことでした。例えば、石田米子さんという女性は中国に行って第二次世界大戦に慰安婦だった被害者たちのところへ訪れ、一人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行いました。日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、石田さんは証言の信頼性を確認しながら調査を行い、そして『黄土の村の性暴力』という論文に発表しました。もう一つの例は、富山たえこという女性の画家は日本の戦争責任についてたくさんの創作活動を行ったことです。


私はいつも戦争中で一番美しいのが女性だと思います。自分の子供たちを守るために意外な強さを見せるだけでなく、人生の選択の前に誰よりも柔らかい心を持っています。前ブログに書いた「歴史への態度」で中国の南京虐殺を描いた映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(The Flowers of War)」で、その女性たちが若い学生を助けるために犠牲になってしまったことは史実でした。昔の中国人はそれを「婦人の仁」と呼び、意気地がないということで、悪いことだと思ってしまいましたが、私はそう思いま線。戦争に対し反省をするのは怯弱ではなく、凄く勇気があることだと思います。もちろん自分の国家のために戦うことは当たり前のことでしたが、女性の努力は世界の平和に貢献しました。男性が主導した戦争は世界を壊してしまいましたが、戦時中と戦後の女性は自分の力で壊れてしまった被害者の心を治すように努力しました。その不可欠な努力は女性の美しさを表しているのではないでしょうか。

2012年4月29日日曜日

「ああ祖国よ」・不思議な設定と現実

先週星新一の「ああ祖国よ」を読んだ。簡単に紹介すれば、アフリカにあるパギジア共和国(実在しない)が建国してからすぐ日本に宣戦布告し、たった2隻の漁船程度のものに乗って日本に攻めてくると言う話だ。主人公がいるテレビ局はこの小さい事件を利用し人気番組を作った。政府がなかなか対応策の結論を出せず、結局大金を払って取引をする事になった。そして、また、次の小国が日本に宣戦布告してきた。。。

初めて星新一の小説を読んだのではないが、「愛用の時計」と「ボッコちゃん」を読んだことがある。同じようにショートショートのスタイル(特に不思議な設定、考えられないオチ)を使っているが、「ああ祖国よ」の方はもっと現実感がある上に、微妙に著者の自分の感情を含めていると思う。

まず、なぜ「ああ祖国よ」を読んだ時よく現実感が出るか。

日本人の特徴と日本政府の特徴をよく描写したので、現実感がよく出ると思う。まず、メディアで働いている主人公は「戦争だ」と聞くと、「ベッドから飛び出す」、「核弾頭、ミサイル、焼野原、すべての死」、また「遺書」や「貯金」や「死ぬ前に外国旅行もしたい」と思うようになった。その主人公の反応は直接日本人の戦争に対する態度を表しているのではないだろうか。特に第二次世界大戦の後、日本の一般人にとって戦争に対する印象は日本が戦場として経験したことだろう。つまり、日本人は誰より戦争が怖いものだと思い込んでいるだろう。「進学戦争」、「住宅戦争」のような言葉もよくある。中国語で戦争比喩はあまりそのように広く使えない。戦争歴史によって日本人がどのような怖いものにも「戦争」の比喩を付ける傾向になったのではないだろうか。

普通の日本人の性格を表す上に、星新一はまた政府の無能で無決断な特徴をよく表現していると思う。日本政府は本当に小国へ一億ドルの賠償金を払う可能性はあるのか?それは現実的じゃないだろう。賠償金を払うのは、実際日本だけでなく世界で外交手段としてよく使われることだと思う。例えば、中国政府が世界で台湾を国として認めないようにたくさんの国へ大金を払った。でも、この小説にある一億ドルの賠償金は、日本政府がアメリカとの繋がりを維持するためにどんな犠牲も払えるという意味がある。アメリカとの繋がりの必要性はまず日本政府が戦争を避けるためだろう。前のブログで書いた在日米軍の問題も、日本政府が何十年間をかけて、やっと移転問題の結論が出せたのだ。したがって、日本政府の決断力がないという事実はこの小説で戦争の対応策を出す過程でよく表現されていると思う。

星新一の衆議院議員の父親・星一
そして、「ああ祖国よ」という小説の名前を見ると、すぐ著者の感情を感じるだろう。小説を読み終わった後、星新一が言いたいのは「ああ祖国よ、なぜあなたはそんなに弱いのか」ということなのではないかと思った。しかし、気になったのは、星新一が一般的にテクノロジーに関する小説を書く時全然自分の感情を入れないことだ。なぜ政治に関する小説を書くとき自分の感情も入れるかと言うと、私の推測だが、彼の父親星一が衆議院議員だったからではないだろうか。調べてみれば、彼の父親は1908年に初めて衆議院議員に当選し、また1937年と1946年に二回衆議院議員に当選した。第二次世界大戦戦後すぐ議員になった家族で生まれた星新一は、よく日本のアメリカへの依存関係を感じただろう。政府の無能に対し怒ってもできることがない。したがって、政治に関する小説を書く時、強い感情を表現したのではないだろうか。

2012年4月22日日曜日

「大地の子」の結末の意味

今週は「大地の子」の最終回を見た。本当の父親と一緒に長江三峡の絶景を見た時、別れの言葉を言った。
「大地の子。大地の子です。私はこの大地の子です。この中国の大地が、私の父なんです。母なんです。」父の目に涙が溢れたようだった。きっと父はこの言葉が永遠の分かれの言葉を知ったのだ。
  「永遠の別れ」という言葉は実際フィジカルな別れでなく、心理的な別れだと思う。その場面を見た私は一人のアイデンティティが何によって定義するのかについて、新しい見解を見つけた。血ではなく、国籍でもなく、その国の山と川などの自然に対する感情だ。このような感情は特別な人に対する感情ではないので、実際この土地に対する誠実な感情だ。日本で富士山の詩がたくさんあるだろう。日本人は富士山を見るとき、自分の母を見るときと同じように感動して、そして感謝する気持ちがあるだろう。中国人も同じだと思う。何千年前から、三峡の美しさを歌った詩はたくさんあった。自分の祖国の一番大きい山と川を見るとき、感動する気持ちはどのような憎みも悲しみも超えさせると思う。私は富士山を見るとき、「美しいなぁ」と思うが、三峡の山と川を見るとき、「この土地は私の母だ」と思うように感動してしまった。つまり、外国の自然を見るときと祖国の自然を見る時、自分の感じ方も変わってしまうと思う。
富士山
三峡


 陸一心の場合も同じなのではないだろうか。富士山を見た時、自分の小さい時のことを思い出した。彼が富士山を見た場面は三峡で父親と永遠に別れた場面の伏線だろうと思う。富士山は日本人の血を持っている陸一心と彼の日本についての記憶の絆だが、三峡は彼の祖国の大地への愛情と感動を含んでいるのではないだろうか。ある中国の詩人艾青(アイ チン)は「この土地を愛している」という有名な詩を書いた。「私の眼はどうしていつも涙を湛えているのだろう。それは、私がこの土地を深く激しく愛しているからだ」。陸一心もこの土地に対し、涙が溢れるほど愛していたのではないだろうか。

2012年4月15日日曜日

父親の気持ち

今週は大地の子の第八部と第九部を見た。陸一心の本当の父親松本と会った時、養父の陸徳志はこう言った:
「松本さん、言い難いでしょうから、申し上げますが、今日来られたのはもしや一心を返して欲しいと。。。今あなたが一人暮らしをされていると伺って、何年もわが子を思ってこられた。お気持ちの強さが分かりました。もし、あの子を返してと言われるのなら、私は構いません。」

初めてこの場面を見た私は、世の中でこのような養父がいるかと自分自身に聞いた。信じられなかった。私の祖母は1931年生まれ、抗日戦争の時本当の親と別れてしまった。養父母は家を手伝う人だったが、死ぬまで彼女に本当の親のことを教えてくれなかった。祖母の親の行動が普通の一般人の行動だと思う。それに対し、陸徳志の発言はふつうではないのではないだろうか。

陸徳志が日本人孤児を一生懸命育てることも一般人にとって不思議だろう。その不思議さは山崎さんがくれた陸徳志の魅力だと思う。誰よりも優しい。日本人孤児が何の罪もないと思うので、育ててあげた。一人暮らしの父親の気持ちを誰よりもわかるので、陸一心を返してと言われるのなら、構わない。この設定が可能な要因は、陸徳志の教師としての身分と関係が深いと思う。

陸徳志は「これからあなたが一緒におすごしなさい」と言った原因は、彼が息子の陸一心を愛しているからだと思う。中国の儒教文化によると、孝(こう)は中国の伝統的な道徳の中で一番重要な点だとも言える。そのため、儒教の影響を受けていた陸徳志は一心が一人暮らしの本当の父親の世話をするべきだと思っているかもしれない。彼が松本に提言したのは、一人暮らしの松本のためだけでなく、松本の世話をする責任を持っている陸一心のためだろう。

2012年4月9日月曜日

日本天皇・靖国神社・戦争責任

今週の論点は、天皇の存在の理由とは何か。

第二次世界大戦の後、ドイツはきちんと謝罪したが、同じような敗戦国の日本は謝罪しなかった上に、靖国神社参拝をまた続けていた。私の小さい頃、小泉首相は二度総理大臣の身分で靖国神社参拝を行った。それが原因で、中国国内で大規模な反日行動が始めた。毎日日本大使館の外でボイコット運動をした人は何千人以上もいた。暴力を含んだ行動もあった。例えば、日本産の自動車(トヨタ、ニッサンなど)を壊したり、日本ブランドのコンビニ(ローソンなど)がボイコットされたこともあった。中国国内の世論によると、日本の総理大臣が靖国神社参拝を行うのは侵略戦争を反省をせず、軍国主義を記念するためだった。天皇と国民の関係を理解できなかった私は、いつもそれが靖国神社参拝の理由だと思った。

しかし、東條英機の命と引き換えになった天皇の不起訴を読んだ後、私の意見が変わった。日本人が戦争責任を認めなかったその原因は天皇が戦争責任を認めなかったからだと思うようになった。今の天皇は政治と関係なくなったが、第二次世界大戦時代の天皇は戦争の会議に参加し、国民の戦争動員も主導した。つまり、戦前時代の人間は天皇のために必死に戦ったのではないだろうか。敗戦した後、天皇が人間宣言を発表したが、当時の国民はまだ天皇の命令を最高のものとして遵守した。日本人にとって、処刑された七人のA級戦犯は天皇を守るために犠牲になった英雄になったのではないだろうか。天皇は謝罪をせず、敗戦国としての日本も反省するわけがない。したがって、戦後日本人全体が戦争について反省するための必要条件は東條英機の処刑でなく、天皇の反省と謝罪だと思う。

2012年4月8日日曜日

鋼鉄会社のモデルから見る中国の中央企業

今週は「大地の子」・4を見た。

先週著者の山崎さんが文化大革命をよく描写したことについて感想を書いた。今週のエピソードで気になったのは、山崎さんは鋼鉄会社の業務もよく描写している点だった。まさかモデルがあるかなと思って調べてみた。

ドラマの中で描写された上海に建設された新しい鋼鉄会社は、実際宝鋼集団有限公司という上海にある鋼鉄会社だ。証拠は「上海で建設する新しい鋼鉄会社」と「日本からの技術支持をもらった」という二つの点だ。技術支持の東洋製鉄のモデルは、新日本製鐵という有名な会社だった。ドラマの中で東洋製鉄の社長から会長になった稲山会長という「周恩来総理の友」は、実際稲山嘉寛という新日本製鐵の社長だった。彼が退任した時、ドラマと同じように「第5代経済団体連合会(経団連)会長(1980年 – 1986年)」になった。宝鋼集団の「高炉火入れ」は1985年9月のことだったので、ちょうどドラマの中で延期された高炉火入れの時間と同じぐらいだろう。

私が興味を持っているのは、鋼鉄会社のモデルだけでなく、中国国有企業の発展だ。中国の国有企業は、大体中央企業と地方企業の二つの種類に別れている。宝鋼集団は中央企業なので、北京からの支援をたくさん貰った。どうして中国が中央集権的な発展方法によって、二十年間で世界第二の経済大国になったかというと、中央企業が大きく貢献したからだと思う。例えば、建設されてから四十年ぐらい経った今、宝鋼集団は世界八位の大きい鋼鉄会社になっている。それは多分著者の山崎さんも考えられなかったと思う。

このドラマにある中日談判は両方の個性がよく描写されていたので、中国企業の特徴もよく出ていた。どうして中国の中央企業がそのように速く発展できるかというと、このドラマから見ると三つの理由があると思う。まず、現金をたくさん持っているので、世界一流の施設を買うのは問題なし(談判した時、現金で全部を一回払うので、二割安くなっただろう)。そして、住民を移転させるのは他の国より簡単なので、敷地の問題もなし。しかも、人件費が安いし、また多いので、普通二年間の建設は一年間で終わることもできる。したがって、「大地の子」は歴史だけでなく、経済的に細かいことも大局的なこともよく描写していると思う。そのため、「大地の子」は政治的に歴史の問題を描写する上に、また経済的に現実感もあるのではないだろうか。

前の相関文章:
大地の子3・文化大革命の傷跡・奪われた人間の信頼関係
中国の経済発展・利益共有はもっと大切だ

2012年4月1日日曜日

戦後世代に戦争責任はあるのか

今週の国際関係についてのトピックは「戦後世代に戦争責任はあるのか」という質問だった。読み物によると、「当事者でないから反省なんかしない」、「前世代の負債を相続」と「コミュニタリアンの責任論」という三種類の意見がある。

まず、私は「当事者でないから反省なんかしない」という意見に反対している。もちろん、民主主義という点から考えると、戦後世代は戦争の参加者でなく、謝るべき理由がない。でも、戦後世代は責任がないわけでもない。もし自分の過去の戦争に対する責任を忘れてしまったら、親世代が戦争で犯罪したことも忘れてしまい、反省しなければならないことも忘れてしまうだろう。

そして、「前世代の負債を相続」という意見の中で、私は一番賛成するのは、戦後民主主義のオピニオン・リーダーだった加藤周一氏が言った「間接の責任」という意見だ。
加藤周一氏は<戦争のあとで生まれた人に戦争の責任があるのか、あるいは戦争犯罪を含めて責任があるのか。私は直接には、まったくないと思います。(中略)自分が生まれる前のことをコントロールしようがない。責任を取るということに関する近代法の基本的な考え方は、意思の自由が保障される場合の行動に限るわけです。>と明言した。一方で、政府の世論操作に弱い、横並びの大勢順応主義、鎖国心理、差別意識など戦争と戦争犯罪を生み出した社会的、文化的条件の一部が現在も存続していることには、「間接の責任」がある。
となると、侵略戦争を生み出したのは、日本人の「血」でなく、大勢順応主義、鎖国心理、差別意識など戦争犯罪を生み出した社会環境だったということになる。したがって、日本の戦後世代は、戦争責任を取るより、自分の社会問題をよく研究し、教育を改革し、そのような社会的、文化的問題を解決するのはもっと肝要なのではないだろうか。

最後、「コミュニタリアンの責任論」の西部氏は個人を超えた共同体の慣習などが個人を拘束すると主張した。たくさんの心理学の実験結果も彼の意見をサポートしたので、私もそれが正しいと思う。でも、この正しい意見に対し、私はまだ心配がある。もし誰も「これがコミュニティーの問題だから、私は解決できない」と思ったら、この社会にどのような変化もないだろう。つまり、大勢順応主義が存続したら、日本の社会問題は解決できない。コミュニタリアニズムという論点は正しいが、個人にとって消極的な影響があるかもしれない。なぜなら、どのような視点から考えても、個人的に謝る責任がないだろう。でも、するべきことは絶対ある。したがって、責任論より、「日本社会を改革するため、どのような努力が必要なのか」という討論はもっと大切だと思う。

2012年3月31日土曜日

文化大革命の傷跡・奪われた人間の信頼関係

大地の子」ー3についての感想

今週は「大地の子」の第三部分、「黒災」と「長城」を見た。著者の山崎さんが描写した文化大革命はまるで目の前にあったように真実感を持っている。今回私は述べたいのは、文化大革命の傷跡(きずあと)の一つ・奪われた人間の信頼関係だと思う。

陸一心が冤罪で逮捕された時あった告発集会
主人公の陸一心は逮捕された時、自白出来なかったので、労働改造所にあった集会に引きすり出された。この集会は告発者は刑期が軽減(けいげん)されるというので、労働改造の言いなりの告発をするという集会だと言われた。陸一心にとって夢魔(むま)のような事件だった。私はこれらの集会がとても残酷なので、反対すると思う。自分の利益のために、お互いに告発したのは考えられない。しかし、私の親によると、文化大革命の十年間で、監獄だけでなく、学校、職場などの日常場所での告発も全然不思議ではなかった。その影響により、私の親の世代は人間を信頼することができなくなった。私が小さい頃から、母は何度も「他人を害してはいけないが、他人を防がなければならない」と教えてくれた。しかも、私の世代はよく「滑り落ちた老人を助けてはいけない」と教えてもらった。なぜなら、これらの老人は「あなたが私を打ち倒した」と言い、お金を強要するかもしれないからだ。今の中国社会にこのような人間の不信頼感が多いのは、文化大革命にある告発集会の影響が残っているのではないだろうか。

したがって、告発集会のような行為を勧めたのは、とても残酷だったと思う。人間の弱さを利用し、統制者にとって効果がいいツールだったが、本質的に人間性を滅殺する手段のではないだろうか。それは独裁政府(例えばドイツのナチ)がよく使った手段だが、実際人民の支持を得ることができないだろう。しかも、もし人間がお互いの信頼関係を失ったら、その社会も大変な不幸になると思う。

それ以外、告発が中国人の伝統道徳に違反したのだ。中国社会は何千年前から清朝までずっと儒教を信仰していた。孔子を最高の徳目としていた。「仁」とは、主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつだった。人民の支持を得られる手段は仁義(じんぎ)しかないという論説もあった。儒教は現代社会に応用できない部分がたくさんあるが、「仁」の重要性がまた応用できると思う。つまり、人民の支持と民族の団結を得られるのは刑罰でなく、仁義である。仁義は人間の信頼関係を基づいているものだ。告発集会などのような文化大革命であったことは人間の信頼関係を奪った上に、この民族の仁義も奪ったので、大変な傷跡になっていたのだはないだろうか。


前の相関記事:
文化大革命・中国の抗日戦争、大躍進政策と文化大革命
大地の子2・文化と言語についての考え
大地の子1・残留孤児を育てるのは正しいか?




2012年3月24日土曜日

文化と言語についての考え

先週の授業で「大地の子」を見た後、先生は「祖国の言葉や民族を知らないのは、人間として大変な恥だと思うか」と聞きました。私はそれが大変な恥だと思います。それだけでなく、また人間として祖国の文化や歴史を継承するために他にもするべきことがあると思います。

今の世界は、民族は血縁関係が決まることです。しかし、民族の文化や歴史を継承するのは、血縁関係だけではなく、文化です。言語はその文化の中で、一番大切なものに違いないと思います。第二次世界大戦中、ユダヤ系の人たちは一生懸命自分の命を守っただけでなく、自分の言語(ヘブライ語)を忘れないように努力もしました。言葉を守った上に、自分の宗教、文化、民族復興の希望も生き続けたでしょう。イスラエルが第二次世界大戦の後、すぐ建国し、復興できたその理由は、その民族が自分の言語を忘れなかったからだと思います。

それ以外に、祖国の言葉だけではなく、自分の地域の方言も守らなければならないと思います。現在、中国で標準語を広げるために、学校で方言を使うことは禁止されました。その結果、上海の幼稚園や小学校にいる児童は八割以上自分の方言を使うことができなくなりました。全国の統一化がいいことかどうかは別として、上海の老人はその現状を受け入れていません。私も方言を失ったら、その地域の独特な文化も失われるに違いないと思います。今の標準語は中国の北方の言葉ですが、上海語は三国時代の「呉」という南の国の言葉と一番近いです。つまり、上海語や広東語は標準語より古代の中国語と似ていると言えます。中国は広いので、地域の特徴が失われてしまったら大変だと思います。だから、自分の祖国の言葉を守り、さらに自分の地域の文化を守るためにも頑張らなければなりません。

2012年3月10日土曜日

戦争歴史に対し、日本人だけではなく、中国人がするべきこともあります

第五週授業1ー戦争責任や謝罪より先にするべきこと


今週の論点は笹幸恵さんが書いた「戦争責任や謝罪より先に、戦後生まれの私達にはするべきことがあります」という文だった。彼女によると、我々は「現代の視点」から、歴史を評価してはいけない。まず自分で戦争で苦しんだ人たちの心を理解するのは大切ということだ。私は前に「大地の子」を見てから発表した侵略国の人が戦争の歴史へどのような態度を持つべきかという質問への答えと同じように、彼女の意見に賛成している。さらに、彼女が戦争の責任者としての日本人の立場で日本軍に爆撃された島に訪ねた部分を読んだ後、私は中国人が中日戦争の歴史に対し何かするべきことがあるかということを考え始めた。

胡耀邦からの支持が書かれている「大地の子と私」

一番大切なのは、日本の教科書問題を非難することではなく、日本に南京虐殺について謝罪させることでもないと思う。双方の戦争の歴史の真実をきちんと調べ、いいことも悪いこともみんなに知らせることは一番大切だ。歴史を知るのはお互いに交流できるようになる前提条件だと思う。一つの例を挙げたいのが、胡耀邦と「大地の子」の話だ。胡耀邦は当時の中国の総書記として、山崎豊子が中国残留孤児についてした調査を全力で支持したのだ。山崎さんがこの素晴らしい小説が書けたのは、その支持によって、労働改造所、未開放地区への取材が可能になったことと関係が深い。つまり、胡耀邦は残留孤児の真相を世界に見せようとしていた。抗日戦争に幹部として参加した胡耀邦が、中国人の気持ちを理解できるだけでなく、また日本人の気持ちも理解できるのは不思議だ。私は彼が山崎さんの取材を全力で支持したことがよかったと思う。残留孤児の問題を知れば、日本人は自分の国が中国を侵略した事実を回避できない。だから、そのドラマは中国の文革であった残酷な事実を反映する一方、中国人の恨みと残留孤児の苦しみをきちんと描写して、日本人の良心を問いただしているのではないだろうか。謝罪は言葉だけを使ってできることだが、日本の国民が戦争への認識をすることに何の役も立たない。しかし、このドラマは、半年で三回繰り返し放送され、影響が大きかったので、日本人に何か考えさせることができたのではないだろうか?私は胡耀邦が「大地の子」を支持したことに賛成している。相手の立場を理解もせず相手の行動を批評すると、相手も私達の気持ちを理解してくれないのではないだろうか。したがって、中国人はまずこの歴史について知識を持たなければならない。私たちは日本人がこの戦争で受けた苦しみもきちんと勉強しなければならない。戦争の責任は、一つの国だけが負担することではない。双方ともするべきことがあるのだ。

相関文章:
『大地の子』と私

2012年3月9日金曜日

残留孤児を育てるのは正しいか?

「大地の子」についての感想−1

今週は山崎豊子の小説、またその小説を原作としたテレビドラマ「大地の子」を勉強し始めた。中国残留日本人孤児の話だが、日本の侵略戦争のせいで、その時、中国東北地方の中国人が日本人の子供への差別したということはこのドラマに何度も現れる。でも、一人だけは他の人と違った。この人は陸一心(松本勝男)の養父、陸徳志という普通の小学校の先生だ。陸徳志はまず陸一心の命を助けるために、お金もたくさん使って、一生懸命頑張った。その後、日本人の子供を自分の子として育てたので、文化大革命にも「売国奴」として批判された。当時の中国で、陸徳志の行為が理解できなかった人が多かっただろう。今から考えれば、人道主義者は「この子たち悪いことを何もしなかったよ」と言い、非難してはいけないと主張するかもしれない。でも、このドラマで描写されたソ連が日本人を殺した場面は当時日本人が中国人を殺した場面と何か違いがあるのか?全く同じだった。この場面を見た私は、もし自分の家族や友達が戦争で殺されたら、絶対相手の子を育てることは許せないと思った。日本人全体を憎むようにもなるかもしれない。したがって、日本人は侵略に参加した人として謝罪しなければならない。もしある日本人は謝りたいのなら、まず被害者が受けた苦しみを理解し、被害者に対して誠意を見せなければならない。この視点から考えると、日本人は侵略国の人として、戦争歴史に対し被害者の苦しみを理解することが一番大切だと思う。

2012年3月4日日曜日

在日米軍の抑止力のコスト

第四週授業1・在日米軍の抑止力

第二次世界大戦で敗戦した後、日本は憲法九条を設立し、軍隊がなくなり、自衛隊だけを持っている国になった。そのような状況で日本を守る安保体制は、自衛隊の防衛力と米軍の攻撃力に頼っている。この依存関係のおかげで、アメリカの「抑止力」という心理的な概念が対外的に有効になった。だが、この日米同盟には問題が二つある:日本国内の問題として、在日米軍の必要性、もう一つは外部(特に周辺諸国)にとっての日米同盟関係の緊密度が大切であること。私は特に日本人にとっての在日米軍の必要性について述べたい。



沖縄にある普天間米軍基地には在日米軍の一番大きい軍用空港がある。飛行機事故による民間人の死亡者も少なくなかった。安全と騒音に関する問題以外、1995年米軍海兵の兵士三人が買い物をしていた12歳の女子小学生を暴力で集団強姦した事件をきっかけとして、米軍および日本政府に対する沖縄県民の不満が爆発した。実行犯の三人は日本側に引き渡されなかった。つまり、犯罪者はそのままアメリカに帰ったということになった。沖縄県民の視点から考えると、アジアの隣国の軍隊より、在日米軍の方がもっと危険なのではないか?だから、在日米軍の抑止力を獲得するために、日本政府の支払うコストは高い。民衆の世論がよくなかった上に、県民から政府への信頼も下がった。また、「在日米軍が救援する対象の優先順位の最下位は日本人」という事実もある。従って、アメリカ人にとって、在日米軍はアメリカのアジアにおるプレゼンスの一つに過ぎないとも言える。

私は、今東アジアの安保(特に北朝鮮の核問題)と日本国防の現状から考えると、どれぐらいコストが高くても在日米軍が絶対必要な存在だと思う。今後日本政府がその安保体制を維持しなければならないので、どのように米軍と国民の間でバランス取るのは、前よりもっと難しいようだ。

2012年3月3日土曜日

中国の抗日戦争、大躍進政策と文化大革命

授業3・中国の抗日戦争・朝鮮人の抵抗と建国準備・戦後の中国と朝鮮中国の文化大革命朝鮮戦争と朝鮮分断について

今週の授業3で、私は中国の抗日戦争と戦後について発表した。

まず、日本の侵略戦争の要約:第二次国共合作が原因で、日本軍の速戦速決作戦は失敗した。その後、国民党が日本軍と前面(主に都市)で戦闘し、共産党が日本軍と後方(主に田舎)で戦闘し、持久戦になった。1941年、太平洋戦争が始まり、中国は連合側に参加したので、アメリカとイギリスの救援を受け、日本に反攻し、1945年抗日戦争が成功した。

そして、中国の建国の後、毛沢東時代に入った。隣国との戦争以外に、朝鮮戦争にも介入した。この時代に、大躍進政策は社会で一番悪い影響を与えた。大躍進政策で毛沢東は、中国の農工業の現状を無視し、数年間で経済的に米英を追い越すという目標を樹立した。その結果、三年自然災害も重なったので、推計2000万人から5000万人ともいわれる餓死者を出し大失敗に終わった。多数の餓死者を出す原因となったのは、ソ連からの借款の返済に農作物を充てていたことが一因となったという指摘もある(飢餓輸出)。毛沢東は、自己批判を行って国家主席を辞任した。

しかし、毛沢東時代はこの頃で終わっていなかった。1966年開始された文化大革命は、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動だったが、実際、毛沢東が自身の復権を画策して引き起こした大規模な権力闘争(内部クーデター)だった。もし大躍進政策が中国の人民に大きな物質的な損失を与えたと言ったら、文化大革命は中国の知識と文化遺産を回復できないまでに破壊したと言える。私の祖父が翁同龢の四代目の子孫として継承した書道の芸術品はすべてこの時に燃やされてしまったそうだ。 その日の翌日、たった一日で祖父の黒髪は全部白くなってしまった。文化大革命の十年間に、知識人は批判され、虐待された。我慢できずに自殺した人もたくさんいた。文化大革命による行方不明者を含めた犠牲者数は、推計で数百万人から1000万人以上といわれている。

私は被害者の家族として、自分の権力を高めるために毛沢東を利用した文化大革命を始めた四人組を絶対許せないと思っている。文化大革命を経験した官僚たちは、全部悪い人じゃなかったが、毛沢東に反対する力がなかったのだ。政策の正確性を考えず国家主席だけの意見を聞くのが独裁政権のではないだろうか。だから、民衆のために一生懸命働く官僚より、権力を制約する適当な政治体制の方がもっと大切だと思っている。


大躍進政策に関するビデオ:

2012年2月26日日曜日

利益共有はもっと大切だ

第三週授業1:米中関係

習近平(中)とオバマ(右)


今週、吉原欽一さんの米中関係についての文章を読んだ。私は彼の分析と中華人民共和国の副主席習近平が最近アメリカに訪問したことについて意見を述べたい。確かに吉原さんが言ったように、オバマ政権は軍事面で中国への対策が協調から強硬に転換しているが、経済回復のために中国の市場に頼ってもいる。それとともに、アメリカの政府はまた中国への輸出に軍事転用可能な民生技術が多いことについて心配している。しかし、私はアメリカ政府が輸出管理制度の改革することによって、中国がアメリカの技術を獲得することを防止できると思わない。中国のレノボというパソコン会社をご存知だろうか?八年前、レノボはIBMのPC業務を購入しようとした。その時、アメリカの国会はそれに反対したが、反対は無効になった。当時、国会の恐れていたことは、IBMがPC業務でたくさんの技術を持っているので、もしその購入活動が成功したらIBMの技術は中国人のものになってしまうだろうということだ。しかし、アメリカは自由市場なので、IBMは自分の利益を考え、PC業務を中国人に売り渡した。2011年のレポートによると、レノボは世界で二番目に大きいPC業務を運営している(一番目はHP会社だ)。それはたくさんの例の中の一つの例にすぎない。中国の企業が経済の力を利用し、アメリカの技術を獲得するのは今からもっと頻繁に起こるだろうと思っている。従って、アメリカにとって、中国への輸出を禁止することより、中国との利益共有はもっと大切なのではないだろうか?習近平副主席がアメリカに訪問した時、代表団の中で企業家は五百人がいた。彼らは271億ドルの中米商業契約に署名した。これはアメリカの「輸出倍増計画」への大きな支援のではないだろうか?そのような経済的な契約のおかげで、米国と中国は今から「責任あるステークホルダー」、あるいは、利益・責任共有体になる方向に進むにちがいない。

2012年2月25日土曜日

歴史への態度

授業3:「親日派」と「漢奸」についての感想

「漢奸」と呼ばれる汪精衛(右)と東條英機(左)

今週は日本の侵略戦争についてのコラムを読んだ。私は「親日派」と「漢奸」についてのコラムに興味があった。「親日派」・「漢奸」とは、韓国・中国で日本の統治に積極的に協力した人物たちのことだ。中国で生まれた私は、小さい頃から「漢奸」が絶対悪い人だという教育を受けた。たくさんそれに関する映画がある上に、中学校の先生は魯迅の弟、有名な学者周作人という人を紹介する時も、「この人は文学の才能が高かったが、『漢奸』になってしまいました。それが原因で、今その人の文章は教科書に入れられません」とおしゃった。だから、私は韓国の初代大統領が「親日派」を保護したことを読んだ時、信じられなかった。韓国の友達によると、今でも彼らの子孫は地位が高い人物だそうだ。韓国人がそのような人に憎まないかと聞いたら、ある女優で、最近その祖父が親日派だと分かったために、彼女の上演がボイコットされたことを教えてくれた。教科書によると、韓国人は2004年に「反民族行為真相糾明特別法」を制定し、親日派の調査を開始したそうだ。でも、今、これを行うのが正しいかどうか私は疑問を持っている。多くの「親日派」の人はもう亡くなっているのではないのだろうか?彼らの子孫たちを罰するのは不公平なのではないだろうか?

去年の年末に、中国の张艺谋(チャン・イーモウ)氏が監督を務め、南京虐殺を描いた映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(The Flowers of War)」が公開された。日本人はそれを「プロパガンダ」と呼んだが、私はそう思わない。今は私にとって「漢奸」のイメージが変わったので、この映画は人間性を表現していると思う。孟さんという男は自分の娘の「友達と一緒に逃げたい」という願望を聞いた後、漢奸として日本軍の交通部に協力した。お父さんが漢奸になったので、彼の娘は友達に批判され、お父さんを憎むようになった。それを我慢した孟さんは何も言わず、一生懸命頑張って学生たちを助け、最後に日本軍に撃ち殺された。その映画を見て泣いた私は、「自分の家族を守るために漢奸になってしまった人も多かったのではないか」と思った。歴史の問題は多くの人の感情と関係あるから、簡単に解決できない。漢奸や親日派を罰するのはもちろんだが、どの程度まで罰するのか、彼らの家族をどう扱うのかという問題を考えなければならないと思う。

相関リンク:
日本の戦争犯罪
The Flowers of War Trailer:

2012年2月18日土曜日

近代化の進行と東洋三国の戦争

第二週授業3・東洋三国の歴史のまとめ

十九世紀の後半に、欧米列強の圧力を感じた日本政府は開国し、軍事も経済も西洋に学んだ。朝鮮と戦った時、中国も戦争に参加し、日清戦争を引き起こすことになった。始めの頃、日清戦争の発生地はまだ朝鮮だったが、黄海戦域で勝った日本はすぐ中国の遼東半島へ移動した。敗北した清政府は下関条約に調印し、朝鮮を独立国と認め、台湾などの領土も日本に割譲し、賠償金以外に通商港も開港した。その戦争からの利益を見た欧米列強は日本に干渉し、中国をめぐる激しい争奪戦を始めた。日露戦争は日本とロシアが遼東半島を占領するために引き起こした戦争だった。そのせいで中国も朝鮮も侵略を受けてしまった。そして、日露戦争に勝った日本は領土や勢力範囲を広げようとする帝国主義の傾向をいっそう強めていった。帝国主義が進み、それとともに福沢諭吉の「脱亜論」にも影響され、日本はアジアの保護者から支配者になってしまった。一方、日本の侵略を受けた朝鮮にも中国にも、独立・抵抗の運動と社会運動が発生した。朝鮮独立運動は宗教界と学生たちが中心になって、「大衆化、統一、非暴力」を行動綱領とし、独立宣言書を全国に配布した(三・一運動)。残念なことに、暴力を受け、鎮圧され、失敗した。二ヶ月後、中国の北京の学生はパリ講和会議の決定を知り、天安門前で集会を開き抗議し、全国民的な民族愛国運動になっていった(五・四運動)。その勝利によって、「民主」と「科学」をスローガンにして新文化運動も推進されたのだ。

利益の前に、主権紛争は手段だ。

第二週授業1:中国の軍拡と尖閣諸島問題についての感想



 中国出身の私は、この授業の前に「尖閣諸島」という名前を聞いたことがなかった。なぜその主権紛争がたくさんあった地域の名前を知らなかったかというと、中国のメディアとこの教科書で使われた名前が大きく違ったからだ。中国は「尖閣諸島」という名前を認めたことがなかったので、いつも釣魚島と呼んだ。今度の授業のきっかけで、中日双方からの論点を聞くことができた。日本側の桜井さんは極右の意見を持ち、日本はアメリカに頼らず、軍事力を高め、中国へ強い態度を持つべきだと主張している。中国側の朱さんは双方の感情が強すぎ、このまま落ち着くまで待った方がいいと主張している。私はこの紛争の原因を知った後、日本が軍事力を高めることは行けないし、中国の方がこのまま落ち着くまで待つこともいけないと思っている。まず、憲法九条によると、日本の自衛隊が軍隊になることは無理だ。そのせいで高額の軍費も集められないので、軍拡をするのも不可能だろう。しかも、アメリカの太平洋軍隊は中日紛争に介入する気がないようだ。強硬に自分の主権を示すことは中日関係へ悪い影響を与えるに違いない。一方、中国側では、鄧小平が何十年前に言った係争問題は徐々に解決されるべきだという言葉には、実際は「このまま今は問題を解決せずに中国が復興することを待つ」という意味を含んでいたのではないか。鄧小平が日本に訪問した時、中国の実力はまた弱かった。でも、今世界の石油資源が少なくなりつつあり、中国の軍事力も増強しているので、尖閣諸島の石油資源を利用したい中国は絶対その主権問題を譲らないだろう。したがって、今の日中関係に対し、双方の態度は明らかだ:日本は自分の主権を守りたい上に、中国の経済力も利用したいので、中国政府といい関係を壊したくない;中国は自分の実力が高まったので、石油資源のために尖閣諸島の紛争を利用したい。今、この問題の解決方法はあまりない。微妙なバランスを守ることしかない。しかし、一歩間違ったら大きな損失を受けることになるから、日本が主権と経済の問題の中でバランスを取るのはとても難しいのではないか。


相関リンク:
尖閣諸島問題(日本語)
Senkaku Island (English)
尖閣諸島中日漁船衝突(ビデオ)

2012年2月16日木曜日

自分の仕事経験での日本語

第二週授業2・ビジネス日本語


 去年の夏休みに日本のある信用金庫でインターンシップをしました。ビジネス日本語の勉強について一番難しかったのはもちろん敬語の使い方でした。例えば、個人的なお客様へ手紙を書く時「***様」を使いますが、会社へ手紙を書く時「***御中」を使います。金融機関で働いたので、敬語使いの規則は一番厳しかったです。会社の封筒に「***様」が印刷されていたので、会社へ手紙を送る前、「様」を消し、手で「御中」に変更します。一度百枚以上の封筒に「御中」を書いたことがあるので、「様」と「御中」の使い方は絶対忘れられません。
 仕事以外には、敬語に関して面白いこともありました。例えば、一度デパートに行った時、「三番の口紅がありますか?」と聞いた時、「ございます!」と返事をもらいました。へぇ。。?「ございます」は文末で使うのではないかと思って、一体何の意味かと分かりませんでした。混乱しました。今から考えたら、笑ってしまいますが、日本に行った時敬語を分からなかったので迷惑をかけたことがたくさんありました。もしできれば、日本のサービス業のみなさんに「外国のお客様と話す時、わかりやすい日本語を使ってください」という提言をしたいですね。

2012年2月13日月曜日