2012年3月3日土曜日

中国の抗日戦争、大躍進政策と文化大革命

授業3・中国の抗日戦争・朝鮮人の抵抗と建国準備・戦後の中国と朝鮮中国の文化大革命朝鮮戦争と朝鮮分断について

今週の授業3で、私は中国の抗日戦争と戦後について発表した。

まず、日本の侵略戦争の要約:第二次国共合作が原因で、日本軍の速戦速決作戦は失敗した。その後、国民党が日本軍と前面(主に都市)で戦闘し、共産党が日本軍と後方(主に田舎)で戦闘し、持久戦になった。1941年、太平洋戦争が始まり、中国は連合側に参加したので、アメリカとイギリスの救援を受け、日本に反攻し、1945年抗日戦争が成功した。

そして、中国の建国の後、毛沢東時代に入った。隣国との戦争以外に、朝鮮戦争にも介入した。この時代に、大躍進政策は社会で一番悪い影響を与えた。大躍進政策で毛沢東は、中国の農工業の現状を無視し、数年間で経済的に米英を追い越すという目標を樹立した。その結果、三年自然災害も重なったので、推計2000万人から5000万人ともいわれる餓死者を出し大失敗に終わった。多数の餓死者を出す原因となったのは、ソ連からの借款の返済に農作物を充てていたことが一因となったという指摘もある(飢餓輸出)。毛沢東は、自己批判を行って国家主席を辞任した。

しかし、毛沢東時代はこの頃で終わっていなかった。1966年開始された文化大革命は、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動だったが、実際、毛沢東が自身の復権を画策して引き起こした大規模な権力闘争(内部クーデター)だった。もし大躍進政策が中国の人民に大きな物質的な損失を与えたと言ったら、文化大革命は中国の知識と文化遺産を回復できないまでに破壊したと言える。私の祖父が翁同龢の四代目の子孫として継承した書道の芸術品はすべてこの時に燃やされてしまったそうだ。 その日の翌日、たった一日で祖父の黒髪は全部白くなってしまった。文化大革命の十年間に、知識人は批判され、虐待された。我慢できずに自殺した人もたくさんいた。文化大革命による行方不明者を含めた犠牲者数は、推計で数百万人から1000万人以上といわれている。

私は被害者の家族として、自分の権力を高めるために毛沢東を利用した文化大革命を始めた四人組を絶対許せないと思っている。文化大革命を経験した官僚たちは、全部悪い人じゃなかったが、毛沢東に反対する力がなかったのだ。政策の正確性を考えず国家主席だけの意見を聞くのが独裁政権のではないだろうか。だから、民衆のために一生懸命働く官僚より、権力を制約する適当な政治体制の方がもっと大切だと思っている。


大躍進政策に関するビデオ:

4 件のコメント:

  1. 私は韓国の大学で中国社会に関する授業を取ったことがあります。授業の内容の中にも大躍進政策とか文化大革命の論文がありましたが、当時にはあまり実感することが出来ませんでした。ウェンさんの家族が経験したことを聞いてからはこの事件が中国人の生活にどれ位の影響を与えたのかちゃんと分かるようになりました。私は昔The red violinという映画で、中国の文化大革命の時クラシック音楽を学んだ人とが紅衛兵に逮捕されたり楽器は全部燃やされたりするシーンを見てすごくショックを受けたことがありましたが、ウェンさんの説明を聞いてから社会的な背景を理解することが出来ました。本当に素晴らしい発表でしたよ~。

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  2. 文化大革命によって、たくさんの書道みたいな文化遺跡がなくなってしまったことは中国にとして重大な損失だと思います。国内のお寺に行った時、よく「これは何百年前たてられたお寺だが、文化大革命に火で焼かれてしまった」ということを聞きました。もし文化大革命がなかったら、今中国では世界遺産はまた何十カ所も増えるでしょう。そして、文化遺跡だけではなくて、昔の中国人の家族観、特に、親孝行の行為もなくなってしまって、とても残念だと思います。

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  3. 台湾系アメリカ人の私は文化大革命をよく知ったはずなんですが、恥ずかしい事にこの授業の前に文革についてちゃんと勉強しませんでした。とてもいい勉強になりました。私はネットで調べていた時に、私は喪失感しか感じませんでした。多くの人がなくなった上に、中国文化の損失は計り知れないです。文化大革命が起こらなかったら、現在の中国の社会、文学、美術はどう違うかなと思います。

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    1. リーさんが言ったとおりです。それ以外、私はもし文化大革命がおこなかったら、台湾との関係も絶対違うと思います。

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