2012年11月28日水曜日

中国のアニメ産業 (for class)


 先週は日本のマンガとアニメ産業、特に日本のイメージ同盟について勉強しました。日本では、まずマンガの雑誌で色々な新作が現れ、もし人気を得ればスポンサーによって動画化され、またキャラクター商品なども販売されます。中国は日本のマンガとアニメ文化に強く影響されても、マンガを中心とするイメージ同盟はありません。なぜかというと、中国の出版業界とテレビ局の関係は日本のように緊密ではないからだろうと思います。また、中国でアニメはマンガより人気が出やすいからだろうと思います。

 日本の子供(特に男の子)だったら、毎週少年ジャンプなどを読むのは普通でしょう(コンビニで立って読んでもいいから)。中国ではコンビニでマンガの雑誌を読むのは無理です。もし子供がマンガの雑誌とかを買ったら、絶対お母さんに責められます。だから、中国の子供はマンガを読むことより、毎日学校から家に帰った後五時から七時までアニメを見る方が普通です。

 私が小さい時一番楽しかったのはその時間アニメを見ることでした。セイントセイヤ、スラムダンク、セーラームーンなど、私は小学校時代何度もテレビで見ました。夏休みの時、テレビチャンネルで朝九時から午後五時まで連続放送があったので、一日中ずっとアニメを見るのが大変楽しかったです。しかし、今中国のテレビチャンネルでそのように長い時間日本のアニメの連続放送はもうありません。私の高校時代から中国のテレビ局は中国の自分のアニメ文化があまり存在していないという事実を意識し、自国のアニメ産業を支持するために、一日二時間以上外国のアニメの放送を禁止するという政策を作りました。それが原因で、私の十二歳のいとこは今中国のテレビ局が制作した番組しか知りません。彼女が好きなアニメ「喜羊羊与灰太狼(シーヤンヤンとホイタイラン)」はとても面白くて、大人気なのでもう映画化されました。彼女はアニメと映画を見る上に、シーヤンヤンの人形もいくつか持っているから、日本のアニメ同盟の点から見るとこのアニメは商業化の目的も達成したでしょう。中国のテレビ局にとって、政策を利用して自国のアニメ産業を支持するのはちょっと極端なんですけれども、効果があるのではないでしょうか。

2012年11月21日水曜日

どうして私はマンガを英語に訳すことができないかについて (for class)


リービ英雄の国際比較文学の世界大会での日本語の発表についての記事を読んだ後、彼が言った翻訳する時の「外」と「内」の区別という考えが私にとって興味深かったです。
同じ文化圏の翻訳と違って、日本語を英語に「書き直す」ことは苦労も多いが、異質だからこそ言葉のボーダーを超えてゆく喜びも大きかった。
リービ英雄さんが書いたその文の中で一番大切なのは「異質」という言葉だと思います。この「異質」が形成された要因は言葉だけではなく、文化の差異だろうと思います。翻訳者にとって自分が慣れてきた文化は「内」、慣れていない文化は「外」、だから翻訳する時よく「外から翻訳する」という感じがあるでしょう。もちろん、二つの文化圏に慣れて来ればリービ英雄さんのように「内から内に翻訳する」という域に達せるけれども、「外から内に翻訳する」という状況は普通です。

私は「外から外に翻訳する」場合もあるので、それは一番翻訳が難しいのではないかと思います。

先週、「明るい方へ」という詩を翻訳してみました。語彙もとても簡単で、深い意味もあまりなかったのに、適切な英語で書くために三十分ぐらいかかりました。好きだったから友達に勧めた後、中国人の友達は私に「この詩の意味は一体何か、英語にはあまり詩の雰囲気が感じられない」と聞きました。私は時間をかけず、すぐこの詩の中国語訳を教えてあげました。「へえ、きれいな詩だよね」と答えました。やはりプリンストンで三年間勉強しても英語は私にとって「外」の言語なんだと思って、ちょっと恥ずかしく感じました。

二年前日本語の四年生の授業を終わってからすぐマンガの翻訳組に参加した私は当時日本語のレベルはあまり高くありませんでした。しかし中国語へ訳す時あまり難しく感じられませんでした。最近、先生に「どうしてマンガを中国語へ訳すか」と聞かれた時、私は「それは便利だからです」と答えたけれども、本当の答えをはっきり考えたことがありませんでした。でも、リービ英雄のこの文を読んだ私は、やっとこの答えを見つけました。日本語から英語に訳すことはあくまで「外から外までの翻訳」で、まだ私にとって無理だろうと思います。でもこれから頑張って、必ず日本語も英語も自分の「内」の言語にします。

リービ英雄さんのYouTubeビデオのリンクはここ

2012年11月16日金曜日

「深夜食堂」と私のプロジェクトの関係(for class and for project)



先週私が準備したディスカッションでは、「深夜食堂」のマンガの第一話から第三話までについて授業で皆さんと一緒に話しました。
深夜0時から朝の7時頃までの営業で、のれんには単に「めしや」と書かれていますが、常連客からは「深夜食堂」と呼ばれています。
食マンガと分類されるけれども、高級な料理があまりなく、また食べ物の作り方についの紹介もほとんどありません。「食堂」という言葉を使うと、マスターと食客の親密感が出ます。作者の安倍夜郎は「深夜」という時刻を選んで、感動できる人情話を描写しました。まるで表紙に書かれた言葉の「あなたの腹と心の満たし処」ように、「深夜食堂」を読んだ後その人情話は私の心を温めてくれました。

初めて「深夜食堂」というマンガを読んだのは去年の夏でした。私が大好きだったのはその食べ物と繋がっている感情と文化でした。「めしや」という形式でお客様と彼らが好む食べ物の話を皆に教え、感動させました。読んでいる時、心で流れているのはめしの味だけではなく、人情の味だと思いました。私は料理が大好きなので、外国に行く時必ず外国の料理を食べます。特に家庭料理を食べた時、外国の文化や人情や色々な授業で教えない伝統などがすっと自分のこころに流れて来ました。

外国の知識を勉強する時意見の交換は大切だけれども、外国の文化を理解できるために感情の交換はもっと大切だろうと思います。その点から見ると、国際的な交流を促進するために、意見を交換することだけで足りなく、感情的な交流も必要なのではないでしょうか。感情的な交流ができるメディアの中で、料理と音楽の効果は一番いいと思うので、私の今学期のプロジェクトも深夜食堂の形式を参考し、活動をする時、 参加者は一緒に料理を作って、自分の大好きな食べ物に関する感動できる話を他の人に教えます。私のプロジェクトについて具体的な情報は後のポストに載せます!では、皆さん、良い週末を〜

2012年11月12日月曜日

翻案小説について (for class)



先週の授業で翻訳と翻案の区別について考えました。翻案というのは、むしろ訳された言語・文化寄りに元のテキストを編み直すことだと言えます。「菜の花」の例は俳句から英語の詩に訳すことですけれども、実は翻案の作品は元の形にとらわれず、詩、小説、曲、アニメや映画などの形式もたくさんあります。つまり、二次的著作物だと言えます。古代日本は中国の影響を受け、たくさんの詩や小説の翻案を作りましたが、19世紀から西洋の文学の翻案が多くなりました。ウィキペディアの定義によると、日本の翻案小説は外国作品から、その内容やあらすじはそのままにして、風俗・地名・人名などを自国に合わせて翻訳した小説です。とても有名な日本の作家太宰治(だざい おさむ)の一番有名な作品は「人間失格」ですが、彼が書いた「走れメロス」という有名な短編小説もあるドイツ文学作品の翻案小説だと言われています。

それ以外に、私は翻案小説が外国の文学作品を編み直すことに限られないと思います。それはなぜかというと、自国の言語は時間の推移によって発展してきたからです。例えば、中国の「三国志」という小説の撰者は陳寿(233年 - 297年)でした。日本では三国志の翻案作品の小説もマンガもゲームもテレビドラマも大人気です。もちろん日本の三国志に関する作品は「翻案」だと呼ばれていますが、中国の明代(約16世紀)に書かれた「三国志演義」も「翻案」だと思います。千年も経った中国語はたくさん変わったところがあるので、元の「三国志」を読める人はあまりいなかったでしょう。「三国志演義」は当時の中国の一般人向き当時の流行語を使って「三国志」から編み直した翻案小説だと思います。

皆さん、自分の国で昔の小説からもう一度現代語で書き直された文学作品はありますか。もしあったら、これは翻案作品だと呼ばれると思いますか?:)