2012年11月21日水曜日

どうして私はマンガを英語に訳すことができないかについて (for class)


リービ英雄の国際比較文学の世界大会での日本語の発表についての記事を読んだ後、彼が言った翻訳する時の「外」と「内」の区別という考えが私にとって興味深かったです。
同じ文化圏の翻訳と違って、日本語を英語に「書き直す」ことは苦労も多いが、異質だからこそ言葉のボーダーを超えてゆく喜びも大きかった。
リービ英雄さんが書いたその文の中で一番大切なのは「異質」という言葉だと思います。この「異質」が形成された要因は言葉だけではなく、文化の差異だろうと思います。翻訳者にとって自分が慣れてきた文化は「内」、慣れていない文化は「外」、だから翻訳する時よく「外から翻訳する」という感じがあるでしょう。もちろん、二つの文化圏に慣れて来ればリービ英雄さんのように「内から内に翻訳する」という域に達せるけれども、「外から内に翻訳する」という状況は普通です。

私は「外から外に翻訳する」場合もあるので、それは一番翻訳が難しいのではないかと思います。

先週、「明るい方へ」という詩を翻訳してみました。語彙もとても簡単で、深い意味もあまりなかったのに、適切な英語で書くために三十分ぐらいかかりました。好きだったから友達に勧めた後、中国人の友達は私に「この詩の意味は一体何か、英語にはあまり詩の雰囲気が感じられない」と聞きました。私は時間をかけず、すぐこの詩の中国語訳を教えてあげました。「へえ、きれいな詩だよね」と答えました。やはりプリンストンで三年間勉強しても英語は私にとって「外」の言語なんだと思って、ちょっと恥ずかしく感じました。

二年前日本語の四年生の授業を終わってからすぐマンガの翻訳組に参加した私は当時日本語のレベルはあまり高くありませんでした。しかし中国語へ訳す時あまり難しく感じられませんでした。最近、先生に「どうしてマンガを中国語へ訳すか」と聞かれた時、私は「それは便利だからです」と答えたけれども、本当の答えをはっきり考えたことがありませんでした。でも、リービ英雄のこの文を読んだ私は、やっとこの答えを見つけました。日本語から英語に訳すことはあくまで「外から外までの翻訳」で、まだ私にとって無理だろうと思います。でもこれから頑張って、必ず日本語も英語も自分の「内」の言語にします。

リービ英雄さんのYouTubeビデオのリンクはここ

7 件のコメント:

  1. 会社の種類を訳す場合など以外に、「外」で訳すことは絶対無理だと思います。文法や単語が完璧だっても、なんとなく感じが少し変になってしまうからです。

    (でも、ウェンさんは英訳でよく頑張りました。私にとって、「外」から「外」へ翻訳することは怖いなので、本当にすごいと思います。)

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    1. 私にとっても怖いですけど!宿題だから:P

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  2. 現在ウルドゥー語の授業に参加しているのですが、時折ウルドゥー語の詩を英語に翻訳するように指示されることがあります。
    私にとっては、これが苦行です。

    私には、ウルドゥー語も英語も外の言葉です。
    しかし妙なことに、ウルドゥー語は日本語と文法構造が似ているためなのか、ウルドゥーの詩の微妙な部分は感覚的に理解できるのです。
    「うーん、なかなか深いなあ・・・」なんて、ひとり悦(えつ)に入(い)ったりする。
    ところがそれを英語にすることが出来ない。
    英語の辞書を調べ尽くしても、ぴったりした言葉がみつからないのです。
    どうしてもしっくりした訳にならない。

    クラスメイトは私ともう一人を除き、皆英語が母語なのですが、彼らが英訳を発表するとき、「うーん、たしかに詩に書いてあることはそのとおりなんだけど、なんか違うんだよなあ・・・」と感じる事が多いです。
    詩の表面だけを訳しているだけで、中身が訳せていないというか、詩の中の、文字として現れていない雰囲気とでもいうようなものが訳されていないと感じるのです。それは日本語なら、一言で言い表せるものなのです。

    これがかなりイライラします。

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    1. すずきさん、お返事ありがとうございました。
      詩も小説もエッセイも文字以外の内質が豊富だと思います。だからすずきさんが言った通り、雰囲気が微妙に間違ったらイライラしますね。

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  3. ウェンさんの経験はこの「外」の翻訳の面白い例です。私はスペイン語が話せますが、スペイン語から日本語か日本語からスペイン語を翻訳するのは私にとって絶対無理です!スペイン語と日本語を同時に使ったら、私の頭はごしゃごしゃになって、何も話しません。

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    1. 私にとって、日本語、中国語、英語は3つの独立的なシステムがあります。お互いに翻訳するとき言葉だけの翻訳は最低で、出来れば直接にセンテンスからセンテンスまで訳したほうがいいと思います。しかし、その外と内の違いは鈴木さんが言ったとおりその中身のこと(表面的に訳されないこと)です。その点から見ると、日本語と中国語の距離はやはり英語より近いですね。

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  4. まずは、あまり関係ない話かもしれませんが、「リービ英雄」という名前って面白いですね?やはりハーフですか?
    僕は、Susanが言っていることをよく理解しています。一回会社のインターンシップをやった時に、英和翻訳の仕事を担当したんですが、やはり変な日本語になっちゃいました。また、日本語への翻訳は変じゃない場合でも、その英語の原稿の雰囲気は全然出ませんでした。それはSusanが言っている「外から外まで訳す」とのことですね。
    難しいでしょう。

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