2012年9月21日金曜日

外国語教育とは何か (for class)


 今週はエスペラント語の発明者の文章を読んだ。エスペラント語は彼が言ったように中立的な特徴があるが、今その言語が出来る人はなかなかいない。それはなぜかというと、エスペラント語の勉強と外国語教育は本質的に違っているからだと思う。
 言語教育は、言葉を教えることではなく、その言語と繋がっている文化を教えることだと思う。一つの例は、外国語を勉強する時教科書以外のメディアをどう選択するかという問題だ。イギリスの英語を勉強する時、シェイクスピア、ジェーン・オースティンなどの詩や小説を選んで、古典を大切にする。アメリカの英語を勉強する時、リンコルンのスピーチやマイケル・ジャクソンの歌詞を選び、自由や平和や平等などの思想を身に付ける。ドイツ語を勉強する時、哲学の本が良く選んで、スペイン語を勉強するとき芸術史の本が良い教材になる。中国語の勉強は高級へ進むと、孔子孟子などの哲学を学ぶことは避けられないだろう。つまり、エスペラント語は文化がなく、歴史、哲学、宗教、芸術などのようなメディアは一つもない。だから、言語としての生命力はない。
 私は筆者と同じように国際共通語の存在が必要だと思うけれども、その言語と繋がっている文化の強さは実際その言語の生命力であると思う。

6 件のコメント:

  1. 面白い点ですね。エスペラントに翻訳された作品がありますが、自分の「エスペラントの文化」を持っていませんね。(ウィキペディアによると、エスペラントに書かれた作品もあるそうですが、エスペラントが話せる人は色々な国から来ているので、一つのエスペラントの文化を反映が出来ないと思います。)

    Susanさんが言ったように、エスペラントは言語ですが、自分の「生命力」を持っていないみたいですね。

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    1. そうですね。英語の本は中国語へ訳したバージョンもありますけれども、翻訳する時元の意味が失ってしまうかもしれません。ですから、エスペランドで書かれた本が反映するものは一つの文化としての個性じゃないでしょう

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  2. エスペラント語が「言語としての生命力はない」という考え方は本当に面白いだと思います。
    実はこのブログを読んで、「なるほど」と思って、歴史とか文化などがないと、エスペラント語を勉強したくなるのはむずかしいですね。エスペラント語の発明者みよると、エスペラント語を勉強したくなければなりません。そうじゃないとエスペラント語が広がないという考え方を書きましたね。ですから、エスペラント語は国際語になる可能性が少ないですね。

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    1. 返事してくれてありがとうございました。文化と経済力は外国語を勉強する動機(incentive)ですから、言語を広げるためにその二つは凄く大切です。ダニエルさんが言った通り、エスペラント語は国際語になれないでしょう。

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  3. 私も賛成です。でも私にとって、エスペラント語は歴史や文化がないより、文化的に国際共通語は無理だという理由から賛成です。ウェンさんが書いた通りに、文学を翻訳しても、意味がちょっと変わります。だから、どんな言語を使っても、原語じゃなければ、文化を少し失うと思います。

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    1. ケリスさんの返事もありがとうございました。文学の翻訳から見ると、やはり各国の文化が多少失ってしまうことは一番目立つのですね。

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