2012年12月17日月曜日

プチブル生活、意味あるか (for class)

プチブル印象・ロマンティック
プチブルの文字通りの意味は「プチ・ブルジョア」、中国語で「小資」ということです。元々資本主義と無産階級の中間にある「小資本階級」の人々をそう呼びましたが、現在では政治的イデオロギーや階級観念とは無関係に使用され、新しい生活スタイルを表す言葉に生まれ変わっているということです。
 先週の授業で、日劇の流行とプチブルの形成について考えましたが、私はその二つの関係が因果関係(cause and effect)でなく、中国人の物質的な追求が溢れて来たと同時に日劇で描写された生活に手が届くように思われただけだと思います。
 同じようにプチブル生活スタイルと関係あるものは、ブログ、村上春樹の小説、コーヒー、ジャズ、ワイン、カクテル、三時のおやつなど。おしゃれなものだけなのではないかと思いました。このようなプチブル生活は、物質だけに注目し、ゆとり生活を目指していますが、心からの満足ができるのでしょうか。今の中国は経済が速く発展していると同時に、金でなんでも買えるという考え方が氾濫しているのに対し、人々は精神的に満足していません。特に若者世代の人々は社会への責任感が少なくなりつつあるので、他人を助ける行動からの満足感を得られないでしょう。日劇の影響を見ると、ドラマやテレビ番組の選択に気をつけ、もっと若者世代に社会への責任感を宣伝した方がいいのではないだろうかと思います。

4 件のコメント:

  1. 私もドラマと中国人の変わっている生活に関する因果関係がないと思います。ドラマが影響する物というより社会傾向を反映する物だからです。でも、影響する可能性があるので、ウェンさんが書いたように、メディアはもう少し責任感や社会の価値観を表した方がいいという考え方に賛成です。

    返信削除
  2. その物質だけを注目する生活は問題ですね。でも私にとって、メディアを使って、社会への責任感を宣伝するのは多分そんなに役に立たないと思います。実際に、人間は物質を得ることが好きですから。この傾向を変えるのはメディアでメセージを放送するより、教育でその価値観を説明するのほうが効果があるかもしれませんが、よく分かりません。多分簡単な解決がないかな。

    返信削除
  3. バブルがはじける前の日本のようですね。
    日本でも同じようなことが言われていました。
    それまで貧しかったのが、物質的な豊かさを実際に求めることが出来るようになって、皆狂ったようにブランド品などを買いあさっていました。

    そんなときって、案外皆、教育の重要性を軽視してしまう気がします。
    メディアも教育もそして一般の大人達も、社会への責任感を常に意識させるようお互いにバランス良く社会に働きかけなければならないのでしょうね。

    返信削除
  4. 人々がメディアからの情報を見て、価値観が変わることはポイントですね。だが、流行しているメディアの形はいつも同じではありません。この文で書かれたドラマに影響される中国人は1990年代の人でしょう。今の若者はインターネットから影響(悪いの方が多い)を受けるのではないでしょうか。

    返信削除