2012年9月30日日曜日

言語教育とは何か(for class)


先週、外国語教育について書いたが、今週そのトピックを続け、言語教育について述べたいと思う。
 言語教育は、外国語を勉強することだけではなく、自分の国の言葉の勉強も必要だ。その定義から見ると、言葉を使って自分の意見を表す方法はどの言語を使っても同じだ。どうしてハイコンテキストとローコンテキストの違いがあるかというと、意見を表す方法は言葉だけではないからだと思う。国際的な交流を促進するために、相手が自分の文化を理解できなくても分かってくれるように、その文化の壁を越えなければならない。私が英語を勉強し始めた時、良くアメリカ人のスピーチ(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、エイブラハム・リンカーンなど)を勉強した。その時の私は、まだアメリカの歴史について何も知らなかったけれども、そのスピーチを聞いてから自由と平等という主張を理解できて、感動してしまった。逆に、現代中国で教材として利用できるスピーチは全くない。その原因は、アメリカ人の多民族文化が中国より強いからだと思う。あるいは、アメリカは民族が多いので、スピーチをする時ハイコンテキストの想定はなく、「言わなくても分かる」ものもない。すべて言語で表しているのだ。それに対し、たくさんの中国の学生たちはどんなに難しい英語の試験をパスしても外国人と交流できない。その問題は一体外国語能力の問題か言語力の問題か。
 今中国の教育者もその言語力の問題を意識して、教育改革を始めていた。私の中学校時代から始まった上海の二期教育改革の教材は、伝統的な宿題以外に個人的な研究プロジェクトも入れて、発表の内容もたくさん加えた。それと同時に、教育システムも改革しないと、教材をどう改革しても教材の内容を学生に受け取られないだろう。上海にある復旦大学(Fudan University)は五年前から、大学入試の改革を始め、四人の大学教授との面接も含め、中国的な特徴(試験)を保留しつつ、アメリカと同じようなシステムを加えた。優秀な学生にとってそのような改革はいい機会だが、そのような検定標準は言語力が弱い学生にとって凄く難しく、しかも負担が大きいのではないだろうか。したがって、私は言語力を高めるために、大学入試を始め、教育制度の改革は必要であると思うが、学生の学力によって違う試験をデザインすることも必要であると思う。
 
 

2012年9月21日金曜日

外国語教育とは何か (for class)


 今週はエスペラント語の発明者の文章を読んだ。エスペラント語は彼が言ったように中立的な特徴があるが、今その言語が出来る人はなかなかいない。それはなぜかというと、エスペラント語の勉強と外国語教育は本質的に違っているからだと思う。
 言語教育は、言葉を教えることではなく、その言語と繋がっている文化を教えることだと思う。一つの例は、外国語を勉強する時教科書以外のメディアをどう選択するかという問題だ。イギリスの英語を勉強する時、シェイクスピア、ジェーン・オースティンなどの詩や小説を選んで、古典を大切にする。アメリカの英語を勉強する時、リンコルンのスピーチやマイケル・ジャクソンの歌詞を選び、自由や平和や平等などの思想を身に付ける。ドイツ語を勉強する時、哲学の本が良く選んで、スペイン語を勉強するとき芸術史の本が良い教材になる。中国語の勉強は高級へ進むと、孔子孟子などの哲学を学ぶことは避けられないだろう。つまり、エスペラント語は文化がなく、歴史、哲学、宗教、芸術などのようなメディアは一つもない。だから、言語としての生命力はない。
 私は筆者と同じように国際共通語の存在が必要だと思うけれども、その言語と繋がっている文化の強さは実際その言語の生命力であると思う。

2012年5月6日日曜日

「夕凪の街 桜の国」・悲しいほど感動した

今週は「夕凪の街 桜の国」という漫画を読んだ。原爆投下後の広島市を描いた作品で、被爆して生き延びた女性の10年後の心の移ろう姿を描いた上に、被爆者の子供たちの生活も描いていた。

夕凪の街」で広島の被爆者が自分が一人で生き延びてきたことに対して罪悪感を持っていた。主人公の彼女は悪夢の中でいつも原爆の亡霊から「どうしてあなたは一人で生き残っているか」と問い詰められた。その場面は私にとって考えもつかない場面だった。戦争で生き残った中国人は、自分が生き残ったことについて亡くなった家族に対して罪悪感を感じるけれども、絶対その亡くなった家族の人は自分の生き延びたことを喜んでくれると考える。しかし、彼女の悪夢はまるで戦争時代に自決しなかった日本人が感じた罪悪感ようだった。なので、彼女に恋人ができた時罪悪感に相反しても幸せに生きるように頑張った様子を見た私は、悲しいほど感動してしまった。

桜の国」で関心を持ったことは、被爆者の息子と結婚したい東子は親に反対されたことだった。そういうことは自分のせいではなく、将来どのような悪影響があるかも知らず、一生その「被爆者の子供」として差別に堪えるしかない。その前に、慰安婦の問題を研究した時、元慰安婦は戦後一番憎んでいる人は加害者の日本人ではなく、同じ村に住んでいた中国人であったということを知った。それはどうしてかというと、彼女たちが慰安婦として受けた侮辱はただ一ヶ月から半年ぐらいの間だったが、同胞から受けた差別は一生続いていたからだ。「もし村の男性は日本人と戦ったら、私は慰安婦にならなかったでしょう。」と一人の元慰安婦はこう言った。

戦争被害者にとって一番悲しいのは何か。
体にあるひどい傷跡ではなく、なくなった家族でもなく、自分の同胞に差別され、いじめられることだと思う。

楽観的に自分の生活を選んだ
私は彼女の心情をよく理解できる。戦争の影響は、戦争時代に発生した悲劇だけではなかった。日本人の戦争孤児も広島の被爆者も元慰安婦も、戦争で起こったほんの短い事件のために影響され、それから一生悲惨な生活を暮らしてきた。自分の悲しい運命と楽観的に戦ってきた桜のような強い人達を見た私は、悲しいほど感動した。したがって、「夕凪の街 桜の国」は特別な視点を選び、日常生活の細かいところから被害者の受けた差別もそれから立ち向かう努力も読者に見せ、誰でも共感が出来るのでいい作品だった。戦争被害者の気持ちを理解してから、戦争責任に対し新しい認識もできるのではないだろうか。

戦争の花

先週「中国人に助けられたおばあちゃんの手からうけつぐもの」を読みました。その石川さんというおばあちゃんは若い時中国人に助けられたので、日本に帰ってからどのような差別を受けても一生懸命日中友好を協力しました。

富山妙子の絵画展のポスター

その前、慰安婦問題を勉強した時も気づいたのは、日本の戦争に対する謝罪に貢献した人の中で、女性の力が強かったことでした。例えば、石田米子さんという女性は中国に行って第二次世界大戦に慰安婦だった被害者たちのところへ訪れ、一人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行いました。日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、石田さんは証言の信頼性を確認しながら調査を行い、そして『黄土の村の性暴力』という論文に発表しました。もう一つの例は、富山たえこという女性の画家は日本の戦争責任についてたくさんの創作活動を行ったことです。


私はいつも戦争中で一番美しいのが女性だと思います。自分の子供たちを守るために意外な強さを見せるだけでなく、人生の選択の前に誰よりも柔らかい心を持っています。前ブログに書いた「歴史への態度」で中国の南京虐殺を描いた映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(The Flowers of War)」で、その女性たちが若い学生を助けるために犠牲になってしまったことは史実でした。昔の中国人はそれを「婦人の仁」と呼び、意気地がないということで、悪いことだと思ってしまいましたが、私はそう思いま線。戦争に対し反省をするのは怯弱ではなく、凄く勇気があることだと思います。もちろん自分の国家のために戦うことは当たり前のことでしたが、女性の努力は世界の平和に貢献しました。男性が主導した戦争は世界を壊してしまいましたが、戦時中と戦後の女性は自分の力で壊れてしまった被害者の心を治すように努力しました。その不可欠な努力は女性の美しさを表しているのではないでしょうか。

2012年4月29日日曜日

「ああ祖国よ」・不思議な設定と現実

先週星新一の「ああ祖国よ」を読んだ。簡単に紹介すれば、アフリカにあるパギジア共和国(実在しない)が建国してからすぐ日本に宣戦布告し、たった2隻の漁船程度のものに乗って日本に攻めてくると言う話だ。主人公がいるテレビ局はこの小さい事件を利用し人気番組を作った。政府がなかなか対応策の結論を出せず、結局大金を払って取引をする事になった。そして、また、次の小国が日本に宣戦布告してきた。。。

初めて星新一の小説を読んだのではないが、「愛用の時計」と「ボッコちゃん」を読んだことがある。同じようにショートショートのスタイル(特に不思議な設定、考えられないオチ)を使っているが、「ああ祖国よ」の方はもっと現実感がある上に、微妙に著者の自分の感情を含めていると思う。

まず、なぜ「ああ祖国よ」を読んだ時よく現実感が出るか。

日本人の特徴と日本政府の特徴をよく描写したので、現実感がよく出ると思う。まず、メディアで働いている主人公は「戦争だ」と聞くと、「ベッドから飛び出す」、「核弾頭、ミサイル、焼野原、すべての死」、また「遺書」や「貯金」や「死ぬ前に外国旅行もしたい」と思うようになった。その主人公の反応は直接日本人の戦争に対する態度を表しているのではないだろうか。特に第二次世界大戦の後、日本の一般人にとって戦争に対する印象は日本が戦場として経験したことだろう。つまり、日本人は誰より戦争が怖いものだと思い込んでいるだろう。「進学戦争」、「住宅戦争」のような言葉もよくある。中国語で戦争比喩はあまりそのように広く使えない。戦争歴史によって日本人がどのような怖いものにも「戦争」の比喩を付ける傾向になったのではないだろうか。

普通の日本人の性格を表す上に、星新一はまた政府の無能で無決断な特徴をよく表現していると思う。日本政府は本当に小国へ一億ドルの賠償金を払う可能性はあるのか?それは現実的じゃないだろう。賠償金を払うのは、実際日本だけでなく世界で外交手段としてよく使われることだと思う。例えば、中国政府が世界で台湾を国として認めないようにたくさんの国へ大金を払った。でも、この小説にある一億ドルの賠償金は、日本政府がアメリカとの繋がりを維持するためにどんな犠牲も払えるという意味がある。アメリカとの繋がりの必要性はまず日本政府が戦争を避けるためだろう。前のブログで書いた在日米軍の問題も、日本政府が何十年間をかけて、やっと移転問題の結論が出せたのだ。したがって、日本政府の決断力がないという事実はこの小説で戦争の対応策を出す過程でよく表現されていると思う。

星新一の衆議院議員の父親・星一
そして、「ああ祖国よ」という小説の名前を見ると、すぐ著者の感情を感じるだろう。小説を読み終わった後、星新一が言いたいのは「ああ祖国よ、なぜあなたはそんなに弱いのか」ということなのではないかと思った。しかし、気になったのは、星新一が一般的にテクノロジーに関する小説を書く時全然自分の感情を入れないことだ。なぜ政治に関する小説を書くとき自分の感情も入れるかと言うと、私の推測だが、彼の父親星一が衆議院議員だったからではないだろうか。調べてみれば、彼の父親は1908年に初めて衆議院議員に当選し、また1937年と1946年に二回衆議院議員に当選した。第二次世界大戦戦後すぐ議員になった家族で生まれた星新一は、よく日本のアメリカへの依存関係を感じただろう。政府の無能に対し怒ってもできることがない。したがって、政治に関する小説を書く時、強い感情を表現したのではないだろうか。

2012年4月22日日曜日

「大地の子」の結末の意味

今週は「大地の子」の最終回を見た。本当の父親と一緒に長江三峡の絶景を見た時、別れの言葉を言った。
「大地の子。大地の子です。私はこの大地の子です。この中国の大地が、私の父なんです。母なんです。」父の目に涙が溢れたようだった。きっと父はこの言葉が永遠の分かれの言葉を知ったのだ。
  「永遠の別れ」という言葉は実際フィジカルな別れでなく、心理的な別れだと思う。その場面を見た私は一人のアイデンティティが何によって定義するのかについて、新しい見解を見つけた。血ではなく、国籍でもなく、その国の山と川などの自然に対する感情だ。このような感情は特別な人に対する感情ではないので、実際この土地に対する誠実な感情だ。日本で富士山の詩がたくさんあるだろう。日本人は富士山を見るとき、自分の母を見るときと同じように感動して、そして感謝する気持ちがあるだろう。中国人も同じだと思う。何千年前から、三峡の美しさを歌った詩はたくさんあった。自分の祖国の一番大きい山と川を見るとき、感動する気持ちはどのような憎みも悲しみも超えさせると思う。私は富士山を見るとき、「美しいなぁ」と思うが、三峡の山と川を見るとき、「この土地は私の母だ」と思うように感動してしまった。つまり、外国の自然を見るときと祖国の自然を見る時、自分の感じ方も変わってしまうと思う。
富士山
三峡


 陸一心の場合も同じなのではないだろうか。富士山を見た時、自分の小さい時のことを思い出した。彼が富士山を見た場面は三峡で父親と永遠に別れた場面の伏線だろうと思う。富士山は日本人の血を持っている陸一心と彼の日本についての記憶の絆だが、三峡は彼の祖国の大地への愛情と感動を含んでいるのではないだろうか。ある中国の詩人艾青(アイ チン)は「この土地を愛している」という有名な詩を書いた。「私の眼はどうしていつも涙を湛えているのだろう。それは、私がこの土地を深く激しく愛しているからだ」。陸一心もこの土地に対し、涙が溢れるほど愛していたのではないだろうか。

2012年4月15日日曜日

父親の気持ち

今週は大地の子の第八部と第九部を見た。陸一心の本当の父親松本と会った時、養父の陸徳志はこう言った:
「松本さん、言い難いでしょうから、申し上げますが、今日来られたのはもしや一心を返して欲しいと。。。今あなたが一人暮らしをされていると伺って、何年もわが子を思ってこられた。お気持ちの強さが分かりました。もし、あの子を返してと言われるのなら、私は構いません。」

初めてこの場面を見た私は、世の中でこのような養父がいるかと自分自身に聞いた。信じられなかった。私の祖母は1931年生まれ、抗日戦争の時本当の親と別れてしまった。養父母は家を手伝う人だったが、死ぬまで彼女に本当の親のことを教えてくれなかった。祖母の親の行動が普通の一般人の行動だと思う。それに対し、陸徳志の発言はふつうではないのではないだろうか。

陸徳志が日本人孤児を一生懸命育てることも一般人にとって不思議だろう。その不思議さは山崎さんがくれた陸徳志の魅力だと思う。誰よりも優しい。日本人孤児が何の罪もないと思うので、育ててあげた。一人暮らしの父親の気持ちを誰よりもわかるので、陸一心を返してと言われるのなら、構わない。この設定が可能な要因は、陸徳志の教師としての身分と関係が深いと思う。

陸徳志は「これからあなたが一緒におすごしなさい」と言った原因は、彼が息子の陸一心を愛しているからだと思う。中国の儒教文化によると、孝(こう)は中国の伝統的な道徳の中で一番重要な点だとも言える。そのため、儒教の影響を受けていた陸徳志は一心が一人暮らしの本当の父親の世話をするべきだと思っているかもしれない。彼が松本に提言したのは、一人暮らしの松本のためだけでなく、松本の世話をする責任を持っている陸一心のためだろう。

2012年4月9日月曜日

日本天皇・靖国神社・戦争責任

今週の論点は、天皇の存在の理由とは何か。

第二次世界大戦の後、ドイツはきちんと謝罪したが、同じような敗戦国の日本は謝罪しなかった上に、靖国神社参拝をまた続けていた。私の小さい頃、小泉首相は二度総理大臣の身分で靖国神社参拝を行った。それが原因で、中国国内で大規模な反日行動が始めた。毎日日本大使館の外でボイコット運動をした人は何千人以上もいた。暴力を含んだ行動もあった。例えば、日本産の自動車(トヨタ、ニッサンなど)を壊したり、日本ブランドのコンビニ(ローソンなど)がボイコットされたこともあった。中国国内の世論によると、日本の総理大臣が靖国神社参拝を行うのは侵略戦争を反省をせず、軍国主義を記念するためだった。天皇と国民の関係を理解できなかった私は、いつもそれが靖国神社参拝の理由だと思った。

しかし、東條英機の命と引き換えになった天皇の不起訴を読んだ後、私の意見が変わった。日本人が戦争責任を認めなかったその原因は天皇が戦争責任を認めなかったからだと思うようになった。今の天皇は政治と関係なくなったが、第二次世界大戦時代の天皇は戦争の会議に参加し、国民の戦争動員も主導した。つまり、戦前時代の人間は天皇のために必死に戦ったのではないだろうか。敗戦した後、天皇が人間宣言を発表したが、当時の国民はまだ天皇の命令を最高のものとして遵守した。日本人にとって、処刑された七人のA級戦犯は天皇を守るために犠牲になった英雄になったのではないだろうか。天皇は謝罪をせず、敗戦国としての日本も反省するわけがない。したがって、戦後日本人全体が戦争について反省するための必要条件は東條英機の処刑でなく、天皇の反省と謝罪だと思う。

2012年4月8日日曜日

鋼鉄会社のモデルから見る中国の中央企業

今週は「大地の子」・4を見た。

先週著者の山崎さんが文化大革命をよく描写したことについて感想を書いた。今週のエピソードで気になったのは、山崎さんは鋼鉄会社の業務もよく描写している点だった。まさかモデルがあるかなと思って調べてみた。

ドラマの中で描写された上海に建設された新しい鋼鉄会社は、実際宝鋼集団有限公司という上海にある鋼鉄会社だ。証拠は「上海で建設する新しい鋼鉄会社」と「日本からの技術支持をもらった」という二つの点だ。技術支持の東洋製鉄のモデルは、新日本製鐵という有名な会社だった。ドラマの中で東洋製鉄の社長から会長になった稲山会長という「周恩来総理の友」は、実際稲山嘉寛という新日本製鐵の社長だった。彼が退任した時、ドラマと同じように「第5代経済団体連合会(経団連)会長(1980年 – 1986年)」になった。宝鋼集団の「高炉火入れ」は1985年9月のことだったので、ちょうどドラマの中で延期された高炉火入れの時間と同じぐらいだろう。

私が興味を持っているのは、鋼鉄会社のモデルだけでなく、中国国有企業の発展だ。中国の国有企業は、大体中央企業と地方企業の二つの種類に別れている。宝鋼集団は中央企業なので、北京からの支援をたくさん貰った。どうして中国が中央集権的な発展方法によって、二十年間で世界第二の経済大国になったかというと、中央企業が大きく貢献したからだと思う。例えば、建設されてから四十年ぐらい経った今、宝鋼集団は世界八位の大きい鋼鉄会社になっている。それは多分著者の山崎さんも考えられなかったと思う。

このドラマにある中日談判は両方の個性がよく描写されていたので、中国企業の特徴もよく出ていた。どうして中国の中央企業がそのように速く発展できるかというと、このドラマから見ると三つの理由があると思う。まず、現金をたくさん持っているので、世界一流の施設を買うのは問題なし(談判した時、現金で全部を一回払うので、二割安くなっただろう)。そして、住民を移転させるのは他の国より簡単なので、敷地の問題もなし。しかも、人件費が安いし、また多いので、普通二年間の建設は一年間で終わることもできる。したがって、「大地の子」は歴史だけでなく、経済的に細かいことも大局的なこともよく描写していると思う。そのため、「大地の子」は政治的に歴史の問題を描写する上に、また経済的に現実感もあるのではないだろうか。

前の相関文章:
大地の子3・文化大革命の傷跡・奪われた人間の信頼関係
中国の経済発展・利益共有はもっと大切だ

2012年4月1日日曜日

戦後世代に戦争責任はあるのか

今週の国際関係についてのトピックは「戦後世代に戦争責任はあるのか」という質問だった。読み物によると、「当事者でないから反省なんかしない」、「前世代の負債を相続」と「コミュニタリアンの責任論」という三種類の意見がある。

まず、私は「当事者でないから反省なんかしない」という意見に反対している。もちろん、民主主義という点から考えると、戦後世代は戦争の参加者でなく、謝るべき理由がない。でも、戦後世代は責任がないわけでもない。もし自分の過去の戦争に対する責任を忘れてしまったら、親世代が戦争で犯罪したことも忘れてしまい、反省しなければならないことも忘れてしまうだろう。

そして、「前世代の負債を相続」という意見の中で、私は一番賛成するのは、戦後民主主義のオピニオン・リーダーだった加藤周一氏が言った「間接の責任」という意見だ。
加藤周一氏は<戦争のあとで生まれた人に戦争の責任があるのか、あるいは戦争犯罪を含めて責任があるのか。私は直接には、まったくないと思います。(中略)自分が生まれる前のことをコントロールしようがない。責任を取るということに関する近代法の基本的な考え方は、意思の自由が保障される場合の行動に限るわけです。>と明言した。一方で、政府の世論操作に弱い、横並びの大勢順応主義、鎖国心理、差別意識など戦争と戦争犯罪を生み出した社会的、文化的条件の一部が現在も存続していることには、「間接の責任」がある。
となると、侵略戦争を生み出したのは、日本人の「血」でなく、大勢順応主義、鎖国心理、差別意識など戦争犯罪を生み出した社会環境だったということになる。したがって、日本の戦後世代は、戦争責任を取るより、自分の社会問題をよく研究し、教育を改革し、そのような社会的、文化的問題を解決するのはもっと肝要なのではないだろうか。

最後、「コミュニタリアンの責任論」の西部氏は個人を超えた共同体の慣習などが個人を拘束すると主張した。たくさんの心理学の実験結果も彼の意見をサポートしたので、私もそれが正しいと思う。でも、この正しい意見に対し、私はまだ心配がある。もし誰も「これがコミュニティーの問題だから、私は解決できない」と思ったら、この社会にどのような変化もないだろう。つまり、大勢順応主義が存続したら、日本の社会問題は解決できない。コミュニタリアニズムという論点は正しいが、個人にとって消極的な影響があるかもしれない。なぜなら、どのような視点から考えても、個人的に謝る責任がないだろう。でも、するべきことは絶対ある。したがって、責任論より、「日本社会を改革するため、どのような努力が必要なのか」という討論はもっと大切だと思う。

2012年3月31日土曜日

文化大革命の傷跡・奪われた人間の信頼関係

大地の子」ー3についての感想

今週は「大地の子」の第三部分、「黒災」と「長城」を見た。著者の山崎さんが描写した文化大革命はまるで目の前にあったように真実感を持っている。今回私は述べたいのは、文化大革命の傷跡(きずあと)の一つ・奪われた人間の信頼関係だと思う。

陸一心が冤罪で逮捕された時あった告発集会
主人公の陸一心は逮捕された時、自白出来なかったので、労働改造所にあった集会に引きすり出された。この集会は告発者は刑期が軽減(けいげん)されるというので、労働改造の言いなりの告発をするという集会だと言われた。陸一心にとって夢魔(むま)のような事件だった。私はこれらの集会がとても残酷なので、反対すると思う。自分の利益のために、お互いに告発したのは考えられない。しかし、私の親によると、文化大革命の十年間で、監獄だけでなく、学校、職場などの日常場所での告発も全然不思議ではなかった。その影響により、私の親の世代は人間を信頼することができなくなった。私が小さい頃から、母は何度も「他人を害してはいけないが、他人を防がなければならない」と教えてくれた。しかも、私の世代はよく「滑り落ちた老人を助けてはいけない」と教えてもらった。なぜなら、これらの老人は「あなたが私を打ち倒した」と言い、お金を強要するかもしれないからだ。今の中国社会にこのような人間の不信頼感が多いのは、文化大革命にある告発集会の影響が残っているのではないだろうか。

したがって、告発集会のような行為を勧めたのは、とても残酷だったと思う。人間の弱さを利用し、統制者にとって効果がいいツールだったが、本質的に人間性を滅殺する手段のではないだろうか。それは独裁政府(例えばドイツのナチ)がよく使った手段だが、実際人民の支持を得ることができないだろう。しかも、もし人間がお互いの信頼関係を失ったら、その社会も大変な不幸になると思う。

それ以外、告発が中国人の伝統道徳に違反したのだ。中国社会は何千年前から清朝までずっと儒教を信仰していた。孔子を最高の徳目としていた。「仁」とは、主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつだった。人民の支持を得られる手段は仁義(じんぎ)しかないという論説もあった。儒教は現代社会に応用できない部分がたくさんあるが、「仁」の重要性がまた応用できると思う。つまり、人民の支持と民族の団結を得られるのは刑罰でなく、仁義である。仁義は人間の信頼関係を基づいているものだ。告発集会などのような文化大革命であったことは人間の信頼関係を奪った上に、この民族の仁義も奪ったので、大変な傷跡になっていたのだはないだろうか。


前の相関記事:
文化大革命・中国の抗日戦争、大躍進政策と文化大革命
大地の子2・文化と言語についての考え
大地の子1・残留孤児を育てるのは正しいか?




2012年3月24日土曜日

文化と言語についての考え

先週の授業で「大地の子」を見た後、先生は「祖国の言葉や民族を知らないのは、人間として大変な恥だと思うか」と聞きました。私はそれが大変な恥だと思います。それだけでなく、また人間として祖国の文化や歴史を継承するために他にもするべきことがあると思います。

今の世界は、民族は血縁関係が決まることです。しかし、民族の文化や歴史を継承するのは、血縁関係だけではなく、文化です。言語はその文化の中で、一番大切なものに違いないと思います。第二次世界大戦中、ユダヤ系の人たちは一生懸命自分の命を守っただけでなく、自分の言語(ヘブライ語)を忘れないように努力もしました。言葉を守った上に、自分の宗教、文化、民族復興の希望も生き続けたでしょう。イスラエルが第二次世界大戦の後、すぐ建国し、復興できたその理由は、その民族が自分の言語を忘れなかったからだと思います。

それ以外に、祖国の言葉だけではなく、自分の地域の方言も守らなければならないと思います。現在、中国で標準語を広げるために、学校で方言を使うことは禁止されました。その結果、上海の幼稚園や小学校にいる児童は八割以上自分の方言を使うことができなくなりました。全国の統一化がいいことかどうかは別として、上海の老人はその現状を受け入れていません。私も方言を失ったら、その地域の独特な文化も失われるに違いないと思います。今の標準語は中国の北方の言葉ですが、上海語は三国時代の「呉」という南の国の言葉と一番近いです。つまり、上海語や広東語は標準語より古代の中国語と似ていると言えます。中国は広いので、地域の特徴が失われてしまったら大変だと思います。だから、自分の祖国の言葉を守り、さらに自分の地域の文化を守るためにも頑張らなければなりません。

2012年3月10日土曜日

戦争歴史に対し、日本人だけではなく、中国人がするべきこともあります

第五週授業1ー戦争責任や謝罪より先にするべきこと


今週の論点は笹幸恵さんが書いた「戦争責任や謝罪より先に、戦後生まれの私達にはするべきことがあります」という文だった。彼女によると、我々は「現代の視点」から、歴史を評価してはいけない。まず自分で戦争で苦しんだ人たちの心を理解するのは大切ということだ。私は前に「大地の子」を見てから発表した侵略国の人が戦争の歴史へどのような態度を持つべきかという質問への答えと同じように、彼女の意見に賛成している。さらに、彼女が戦争の責任者としての日本人の立場で日本軍に爆撃された島に訪ねた部分を読んだ後、私は中国人が中日戦争の歴史に対し何かするべきことがあるかということを考え始めた。

胡耀邦からの支持が書かれている「大地の子と私」

一番大切なのは、日本の教科書問題を非難することではなく、日本に南京虐殺について謝罪させることでもないと思う。双方の戦争の歴史の真実をきちんと調べ、いいことも悪いこともみんなに知らせることは一番大切だ。歴史を知るのはお互いに交流できるようになる前提条件だと思う。一つの例を挙げたいのが、胡耀邦と「大地の子」の話だ。胡耀邦は当時の中国の総書記として、山崎豊子が中国残留孤児についてした調査を全力で支持したのだ。山崎さんがこの素晴らしい小説が書けたのは、その支持によって、労働改造所、未開放地区への取材が可能になったことと関係が深い。つまり、胡耀邦は残留孤児の真相を世界に見せようとしていた。抗日戦争に幹部として参加した胡耀邦が、中国人の気持ちを理解できるだけでなく、また日本人の気持ちも理解できるのは不思議だ。私は彼が山崎さんの取材を全力で支持したことがよかったと思う。残留孤児の問題を知れば、日本人は自分の国が中国を侵略した事実を回避できない。だから、そのドラマは中国の文革であった残酷な事実を反映する一方、中国人の恨みと残留孤児の苦しみをきちんと描写して、日本人の良心を問いただしているのではないだろうか。謝罪は言葉だけを使ってできることだが、日本の国民が戦争への認識をすることに何の役も立たない。しかし、このドラマは、半年で三回繰り返し放送され、影響が大きかったので、日本人に何か考えさせることができたのではないだろうか?私は胡耀邦が「大地の子」を支持したことに賛成している。相手の立場を理解もせず相手の行動を批評すると、相手も私達の気持ちを理解してくれないのではないだろうか。したがって、中国人はまずこの歴史について知識を持たなければならない。私たちは日本人がこの戦争で受けた苦しみもきちんと勉強しなければならない。戦争の責任は、一つの国だけが負担することではない。双方ともするべきことがあるのだ。

相関文章:
『大地の子』と私

2012年3月9日金曜日

残留孤児を育てるのは正しいか?

「大地の子」についての感想−1

今週は山崎豊子の小説、またその小説を原作としたテレビドラマ「大地の子」を勉強し始めた。中国残留日本人孤児の話だが、日本の侵略戦争のせいで、その時、中国東北地方の中国人が日本人の子供への差別したということはこのドラマに何度も現れる。でも、一人だけは他の人と違った。この人は陸一心(松本勝男)の養父、陸徳志という普通の小学校の先生だ。陸徳志はまず陸一心の命を助けるために、お金もたくさん使って、一生懸命頑張った。その後、日本人の子供を自分の子として育てたので、文化大革命にも「売国奴」として批判された。当時の中国で、陸徳志の行為が理解できなかった人が多かっただろう。今から考えれば、人道主義者は「この子たち悪いことを何もしなかったよ」と言い、非難してはいけないと主張するかもしれない。でも、このドラマで描写されたソ連が日本人を殺した場面は当時日本人が中国人を殺した場面と何か違いがあるのか?全く同じだった。この場面を見た私は、もし自分の家族や友達が戦争で殺されたら、絶対相手の子を育てることは許せないと思った。日本人全体を憎むようにもなるかもしれない。したがって、日本人は侵略に参加した人として謝罪しなければならない。もしある日本人は謝りたいのなら、まず被害者が受けた苦しみを理解し、被害者に対して誠意を見せなければならない。この視点から考えると、日本人は侵略国の人として、戦争歴史に対し被害者の苦しみを理解することが一番大切だと思う。

2012年3月4日日曜日

在日米軍の抑止力のコスト

第四週授業1・在日米軍の抑止力

第二次世界大戦で敗戦した後、日本は憲法九条を設立し、軍隊がなくなり、自衛隊だけを持っている国になった。そのような状況で日本を守る安保体制は、自衛隊の防衛力と米軍の攻撃力に頼っている。この依存関係のおかげで、アメリカの「抑止力」という心理的な概念が対外的に有効になった。だが、この日米同盟には問題が二つある:日本国内の問題として、在日米軍の必要性、もう一つは外部(特に周辺諸国)にとっての日米同盟関係の緊密度が大切であること。私は特に日本人にとっての在日米軍の必要性について述べたい。



沖縄にある普天間米軍基地には在日米軍の一番大きい軍用空港がある。飛行機事故による民間人の死亡者も少なくなかった。安全と騒音に関する問題以外、1995年米軍海兵の兵士三人が買い物をしていた12歳の女子小学生を暴力で集団強姦した事件をきっかけとして、米軍および日本政府に対する沖縄県民の不満が爆発した。実行犯の三人は日本側に引き渡されなかった。つまり、犯罪者はそのままアメリカに帰ったということになった。沖縄県民の視点から考えると、アジアの隣国の軍隊より、在日米軍の方がもっと危険なのではないか?だから、在日米軍の抑止力を獲得するために、日本政府の支払うコストは高い。民衆の世論がよくなかった上に、県民から政府への信頼も下がった。また、「在日米軍が救援する対象の優先順位の最下位は日本人」という事実もある。従って、アメリカ人にとって、在日米軍はアメリカのアジアにおるプレゼンスの一つに過ぎないとも言える。

私は、今東アジアの安保(特に北朝鮮の核問題)と日本国防の現状から考えると、どれぐらいコストが高くても在日米軍が絶対必要な存在だと思う。今後日本政府がその安保体制を維持しなければならないので、どのように米軍と国民の間でバランス取るのは、前よりもっと難しいようだ。